親になるハードル

親になるハードル 2009_07_25

 

私は独身である。
当然子供はいないし、おそらく生涯持つことはないだろうと思っている。
私は人の親になることがイヤなのである。
母が死んで、いろいろ考えるところはあったが、それでも自分が人の親になれるとは到底思えない。

8月30日に控える総選挙で勝利が濃厚な民主党のマニフェストには、「子供手当」なるものが明記されるそうだが、私はあんなもので少子化が止まるとは思わないな。
少子化の本質はお金の問題じゃない。
親の責任が異常に増大していることが問題なのである。
お金は親の責任の一部にすぎないはずだ。

私はよく「たけし君ハイ」とかいうビートたけしの幼少を描いたドラマを思い浮かべるのだが、昔は親の責任って凄く軽かった。
最低限、飯さえ何とか食わせれば親たり得たわけである。
半分アル中でもよかった。
外で子供が遊んでいて、事故にあって死ぬのだって当たり前だった。
私の母の弟も小さい頃、汚水の中に入って遊んでいて、ばい菌にやられて死んだそうだ。
当然親は悲しかったろうし、自分を責めただろうけど、一人ぐらい死んだからといって悲しんでばかりもいられなかった。

今の親は大変だよ。
ただ食わせるだけじゃ済まない。
公園で遊ばせるには当然親がついて行かなきゃらないし、変な格好で外出させるわけにはいかないだろう。
運動会にはハンディカムを持って参加しなければならない。
子供が事故にでも遭おうものなら、なんで親がついていなかったのかと責められる。
その責めから精神的に解放されるために○○事故撲滅運動を始めなきゃならなかったりするのである。
子供の肝臓が悪いとなれば、生体肝移植だって断れないよ、きっと。
どうする?
自分の体は健康なのに、肝臓何割か持ってかれちゃうとか、私はそんなこと考えられないな。

子供を持ちたくない、と我々が思う本質は親の責任の増大である。
民主党が支給すると主張している月2万6千円という額は決して少なくはないが、いくらお金をもらってもそれは解決しない。
本当に必要なのは、別に立派な親じゃなくてもいいんだよ、という風潮である。
要するに人間は「他人にどう思われているか」が気になるんだから、世間様から駄目な親でも許される、と思えるようにすることが親になるハードルを下げることになる。
そこが変わらないことには、おそらく少子化が解消することはないだろう。

現実的には無理な話だけれど。
いまどきの親は、親であることをもって自己の存在意義としている人が多いから、それを放棄することは出来ない。
他の人ががんばって良い親であろうとすれば、当然自分もより良い親であらざるを得ないだろう。
親であることへのハードルはどんどん高くなっていくのである。
日本の人口がこれかもどんどん減少することは避けられない。
もっと日本だけじゃなくて、多くの先進国でも事情はそう変わらないんじゃないかという気はするが。


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