こんなのは俺じゃない

こんなのは俺じゃない 2011_12_11

 

どうにも自分が長生きできるとは思えない。
春先から、ずっと調子が悪いんだよな。
明確にどこがどうってわけじゃないし、検査しても何も見つからなかったんだが。
まあ、すぐに死ぬことはないだろうと思っているが、かといって安心はできないのである。
いつ死が訪れてもいいようにしておきたい。

そこで、というわけでもないのだが、何かやり残したことはないだろうかと、このところいつも私は探している。
死んだ親父の部屋を片付けていて、ずいぶん長い間、山に登っていないことに気付いた。
うちの地元で山と言ったら、かつて信長が住んでいた山のことだ。
そういえば小さいころ、親父にロープーウェーで頂上まで連れて行ってもらったこともあったな、と思い出したのである。
最後に登ったのは30年近く前になるだろうか。
地元の人間としては、死ぬ前にもう一回登っておいたほうがいいかな、と思った。
正直なところ、私には郷土愛というものが全くないのだが、それでも山から見下ろす風景は冥土の土産になりそうな気はしたのである。
折角だから紅葉の季節まで待とう、でもそれまで生きてるかな?とか思っていたのだが、楽勝で私は生きてた。
相変わらず調子は悪いが、別に悪化してる感じでもないな。
あそこが痛い、ここが痛い、もうあかん、と言いつつ、毎日大量の薬を飲みながら九十まで生きた婆ちゃんの遺伝子を受け継いでいることを私は願ってやまない。
親父はダメだったけどな。
と、ここまでは全く本題じゃなかった。

いざ登ってみると山といっても大した高さの山じゃない。
ロープーウェーで3分もすれば頂上についてしまう。
そこから展望台まで走って登って、眼下に街並みを見渡すと、私はまた走って山を下りた。
登って降りて、全行程わずか27分に過ぎなかったよ。
あっけなく終わった。
自分の中では結構一大イベントだったんだけどな。

それはともかく、山はあかん。
何があかんって、知らない人がやたらと挨拶してくるのがあかん。
すれ違うやつらが、みんな笑顔で挨拶してくるんだよ。
なかなかこれを無視するわけにはいない。
苦しそうな人に挨拶されると挨拶し返さないわけにいかないでしょ。
まいったな、あれは。
久々だからすっかり忘れてたな。
山ってそういうところだった。

最初はこっちもぎこちなく挨拶しているんだが、何十回もやってるとそのうち自然にあいさつしちゃうようになる。
なんだろうな、あれは。
山に登るってわざわざ自分に負荷をかけているわけだから、「好きでやってるにしても、お互い大変ですね」みたいな気分の共有があるのかな。
最後のほうはこっちから先に挨拶しちゃってたもん。
そうやってまた別の人に気分の共有を強いているのかもしれない。

でも、私はそんなのはイヤ。
「こんなのは俺じゃない」と思いながら、山を駆け下りてきた。
もう懲り懲りだよ。
山はこれで最後にしたい。
また時間が経てば忘れちゃうかもしれないが。


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