組閣人事と功名が辻

組閣人事と功名が辻 2006_09_27

 

安倍新総理が誕生し、早速組閣人事が報道されたのは昨日のことである。
ニュース番組が入閣を期待される国会議員の一日を取材していて、非常に面白かった。
「面白かった」というのはあまりいい意味ではない。
今年の大河ドラマが「功名が辻」だったことを思い出して、私は笑えてきたのである。
なぜ笑えるのかを理解していただくためには、いくらか説明する必要があるだろう。
しかし、なぜ笑えるのかわかる方は、以下を読まないで欲しい。
いい加減な記憶で書いているので、少々恥ずかしいのである。

司馬遼太郎先生の「功名が辻」を読んだのはもう十数年も前のことである。
些か記憶も定かではないが、主人公の山内一豊はあまり際だった人物ではなかったように記憶している。
毎回そこそこの手柄は立てるが、大きな手柄を立てたことはない人物だったようである。
彼が土佐24万石を得たのは、たった一つの大きな決断によるものであった。

石田三成が挙兵した際に、たまたま彼は家康に率いられ、上杉討伐の陣にいた。
軍議においていの一番に家康支持を表明したのは福島政則だったそうである。
福島政則は加藤清正と並ぶ、秀吉子飼い中の子飼いで、彼の発言が軍議の流れを決定したと言える。
山内一豊が発言したのは、その後だったそうだ。
自分の領地と将兵を全て差し出す、というようなことを言ったらしい。
結果、その他の武将達も異口同音に家康に忠誠を誓わざるを得なくなった。
みんな勝ち馬にのり遅れたくないからね。
このときの功により、彼は土佐藩24万石を得たのである。

で、この度の組閣人事。
論功行賞の色彩が強い、などといわれ、総裁選挙で安倍陣営を取りまとめた国会議員のところへ取材陣が押し掛ける。
押し掛けられた方も、いつ連絡がくるかと電話の前で恥ずかしげもなく待っているじゃないか。
あれを見ていたら、「俺は福田さんが降りる前からいち早く安倍支持を打ち出していたんだ。俺の方が功が大きい」とか「いやいや、派閥横断で支持団体を作った俺の方が功が大きい」とか言っているような気がして可笑しかったのである。
別に彼らが支持しなくても勝てたんじゃないか。
あるいは、彼らがやらなくても、別の誰かがやったんじゃないか。
既に福島政則の支持表明は済んでいたのである。


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