希望が必要

希望が必要 2005_12_21

 

私は年来、宝くじを買う人間をバカにしてきた。
具体的には私の母親のことなのだが。
買ったって当たるわけがないし、大体からして還元率が低すぎる。
還元率50%以下だぜ、ありゃ。
初めから半分お金を捨てているようなものだ。

しかし、実をいうと私は年末ジャンボを買った。
生きていくためには、多少の希望が必要だろうと思ったのである。

やはり普段自分がどうやって生きていこうかなあ、と考えている事実から目を背けることは出来ない。
今より上手く生きていく方法がないか、いつも私は考えている。
大卒のサラリーマンの生涯年収なんてのは相場が決まっていて、大体2億5千万〜3億5千万である。
リストラされずに定年まで勤めた場合だが。
自分を満足させつつ、これぐらい稼ぐことが出来れば、まずまず言うことはない 。

一方、宝くじの当選額は2億円。
前後賞あわせて3億円。
これがまた絶妙な額なのである。
宝くじを買う人なんてのは大抵あまり人生上手くいっていないと思うのだが、人生がまずまず上手くいった人と同じぐらいの額を手に入れることが出来るわけだ。

まあ、なかなか自分のやりたい仕事を生涯やり通すなんて事は難しいわけで、大抵みんなイヤイヤ働いているのである。
あぶく銭だって、結果として同じだけ得られたら、それはそれで嬉しい。
イヤなことしないで生きていくことが出来るじゃないか。

もちろん、人間はイヤなことであれ、働くことではじめて自分の存在価値を見いだすことが出来る生き物なので、実際には宝くじに当たっても働き続けるだろう。
でも、ひょっとしたら今の状況から脱することが出来るかも、と期待を抱くことはそんなに悪くない。
生きるためにはそんな希望も必要なのだ。
ただし、1枚買っても1000枚買っても、希望の多寡はさほど変わらないことに留意する必要があるだろう。

・・・・などと自分を納得させつつ、宝くじを買ったのである。
ああ、遊んで暮らしたい。


戻る