「日経linux」という雑誌を読み始めてもう一年以上になる。 なんで読み始めたのかというと、こんなご時世だし、Linuxを使えるようになっておくといざというときに役に立つかな、と思ったからである。 もっとも、月1490円の授業料に見合った理解は全く得られていないのだが。 私は「日経linux」を読んでいて、変わった人たちだな、といつも思う。 誰が変わっているのかというと、記事を書いている人たちが、である。 別に奇抜なことを書いているわけではないのだが、私から見ると発想が変なのである。 すべて「俺たちの所まで登って来い」という発想で書かれている。 要するに、自分たちのいるところは良いところだから頑張れ、というわけである。 その代わり、「出来るだけ手は差し伸べてあげるから」が後ろにつく。 大した報酬をもらっているとは思えないのだが、筆者たちがとても丁寧に書いていることは確かに感じ取ることが出来る。 Linuxの世界は最近Windowsに近いデザインを取るものが増えている。 GUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)で操作できるように少しずつ進歩しているのだが、不思議なことに、そのことについて紙面で全く説明しないのである。 ディストリビューションによってインターフェイス大きく異なるので、雑誌に掲載しづらいのかもしれないのだが。 で、筆者たちは一生懸命、コマンドラインの使い方を説明するのだ。 それじゃあ、何のためにLinuxがGUI化しているのか?という話である。 使い手に努力を強いることは出来ないから、使いやすくしようと作り手が努力しているはずだ。 むしろコマンドラインを使わないでどこまで出来るのか、それを記事にすればいいじゃん、と私なんかは思うのだが、そういう記事は読んだことがない。 Linuxの世界には有力なものだけで十数種類のディストリビューションが存在するため個々の使い方は説明できないという理由があるんだろう、とは私も考えた。 しかし、最有力ディストリビューションである「RedHat Linux」専用の「初めてのRedHat Linux 8.0」という本を読んでもやっぱり一生懸命コマンドラインを使わせようとしている有様であった。 おそらく「日経linux」だけが変なんじゃなくて、Linuxのコミュニティ全体がそうなんだろうね。 読者が本当に望んでいるのならば、記事は書かれるはずだから。 LinuxはWindowsに取って代わる選択肢になろうとしている反面、現ユーザーは優越感が薄れるようでなんかイヤだ、というような感情があるんじゃないのかな。 誰もがLinux使えるようになったら、私がこうして雑誌を買っている意味もなくなるわけだが。 <私の理解によるいい加減な語句説明> ディストリビューション:「Linux」を構成するモジュールをひとまとめにしたもの。 一口に「Linux」と言っても、様々な組み合わせのディストリビューションが存在する。 用途に応じて自由に構成できるのがLinuxの大きな利点の一つだが、同時にデスクトップOSとしての普及を遅らせる原因にもなっている(と思う)。 |