最後の一つが残る理由

最後の一つが残る理由 2008_11_19

 

東京駅から新幹線のぞみの1号車(自由席)に入ったところ、上手いこと三人掛けの椅子に一人で座ることが出来た。
新横浜を出発しても誰も座らない。
名古屋まで停車駅はないからずっと一人だ。
ラッキーと思っていると、少し遅れて二人組の女性がやってきて、横に座られてしまった。
二つ席が空いている場所が私の横しかなかったからである。
先に誰か一人座っていてくれれば名古屋まで窮屈な思いはしなかったのに・・・。
世の中、そう上手くはいかない。

やむを得ず肩をすぼめて座っていたところ、女性達はお菓子をテーブルに取り出して、食べながら談笑していた。
近すぎて女性自体を凝視することは出来なかったので、年齢容姿はよく分からなかったが、どうも会社の同僚同士のようだ。
話の内容から察するに30前後か。
角度的に顔を前に向けているとお菓子しか見えない。

しばらくすると、お菓子が一個だけ残った状態で、両方とも手を出さない。
いつ食べるのか、と気になってみていたのだが、結局次のお菓子を補充するまでどちらも食べなかった。
なぜ最後の一個を食べないのか、というのは考えてみるとちょっと面白いかもしれない。
このケースに限らず、最後の一個はたいてい残る。

例えば、飲み会に行っても大抵大皿に一個だけ残ったまま誰も手を出さない、という状況を我々は頻繁に目にするだろう。
誰かが職場にお土産を持ってきて、皆さんでどうぞッとおいていったお菓子もやはり大抵最後の一個が残ったまま干からびているものである。
あれは一体どういうことなのか。

誰かと一緒にいるときは、最後の一個を食べちゃうとばつが悪いという部分はあるだろうな。
まだ食べてない人がいるかもしれないし、最後を食べるとたくさん食べているような印象を与えるかもしれない。
いや、あるいは最後の一個を食べるとそこで終わりを宣言してしまうからか。
食べ物が無くなれば、皿は下げられちゃうし、会合ならそこでお開きになる可能性が高い。

一方、誰もみていないケースでも残る。
誰もいない休憩室におかれたお土産が一個だけ残っているのはなぜなのか。
大抵いつも一個だけ干からびて残っているのだ。
最後一個を食べると後片付けしなきゃいけないからかな。
誰も見てないんだから食べちゃっても良さそうなものなのだが、なんとなく最後に食べた人が片付けなきゃならないような不文律はあるだろう。

理由は違っても最後の一個が残るという事実は変わらないのだが。
そして、その一個を食べるのは、私である。
誰にも気を遣わないし、会合は早く終わって欲しいし、後片付けをすることを私は別に厭わない。
最後一個はたいてい冷えていたり、干からびていたりで、おいしくないんだけどな。


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