事実はありのままに残すべき

事実はありのままに残すべき 2010_03_07-08

 

実家のリビングに目障りな物が置いてある。
それは34本のVHSビデオが収まった専用ラック。
おとっつぁんは30万円も出してそれを買いながら、結局一度も観ることなく、介護施設に入ってしまった。
もう永久に観ることはないだろう。
そのビデオのタイトルは、『映像の世紀 全22巻』と『戦後50年 その時日本は 全12巻』。
NHKが過去にテレビで放送したものに、よくもまあ30万も出したもんだ。
あの頃、飛び込み営業のリフォーム業者に屋根の修理を発注しちゃったり、いま思えば既に頭がちょっと弱ってた。
頭が弱くなってる年寄りにこんなもん売りつけるとはけしからんよ、NHK!
実際に販売したのは委託されたビクターのようだが。

ムカツクから捨てようかと思ったが、捨てるとまたお金が掛かるから更にムカツク。
実家の自治体には不燃ゴミの回収が無く、基本的に可燃ゴミ以外は全て有料の粗大ゴミ袋を使わねばならないのだ。
なんて勿体ない!
一応オークションも調べてみたが、売ろうにもVHSでは大した値もつかないようである。
このビデオラックを見ると腹が立って腹が立って仕方ないので、私が観てやることにした。
せめて元は取らないとな。

もっとも中身は至極まっとうな映像作品である。
歴史資料といっても過言ではないだろう。
知的な好奇心をそそられる内容ではあった。

我々、あんまり近代史を勉強してない。
学校でもほとんど教えられてないし、興味もあまりない。
近代史にはロマンがないからな。
歴史本っていうと、戦国時代とか幕末から明治初期の物ばかり読まれているし、私もそうだった。
そういった中で、この30万もしたビデオは両方とも近代の記録であり、そういう意味では資料価値がある。
今時のデジタルムービーと違って、古い映像ほど嘘はつかないしな。

ところで、近代史は難しい。
まだ生の事実が歴史になっていなくて、客観的に捉えにくいところがあるのだ。
生の事実が歴史に変わるにはおよそ100年、当事者が全部死んじゃわないと駄目なんだよな。
当事者が生きていると角が立って、本当のことが言えない。
ついこの間もNHKが日本の台湾統治時代の話を放送したら、いろんなところからクレームがついた。
私が観たところ、別段問題があるようには思えなったし、上手くまとめてあると思ったが。
歴史として扱うにはちょっとまだ早いのかもしれないな。

その代わり事実はありのままに残しておかないと。
後世の人がちゃんと歴史から学べるように。
『その時日本は』の中で中曽根元総理が、日米安保改訂の時の裏側を暴露している件があるけど、ああいうことはきちんと残しておかないとな。
中曽根あたりはもっといろんな事を知っているはずなので、死ぬ前にやるべき事があるだろうと思う。

事実をありのままに残すことに一番の価値を置くようになれば、自ずと後世に恥ずかしいことは出来なくなる。
誰しも後世の評価は気にするところだから。
安保改訂の時なんか、為政者には言えないことがいっぱいあったと思うよ。
あの時代にホントのことを公開したら収集つかない。
そのかわり後世に対して自分は恥ずかしくないことをしたんだと確信を持って行わないと。

いまも核持ち込みの密約の存在が話題になっているけど、ああいうのを明らかにしてくれた人達をもっと評価すべきだな。
ある一定のルールは必要であるにせよ。
そういう社会の雰囲気が政治を良くしていくんだろう。
いまの日本では明らかにした内容自体を責めるような風潮があって上手くいかないけど。

という具合のことを私は考えた。
おとっつぁんが払った30万の対価がこの文章である。
果たして高いのか安いのか。


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