最後に相応しいお説教

最後に相応しいお説教 2014_08_14

 

寝てるときに見る夢と将来の夢。
言葉としては同じ「夢」だけど、指し示す内容は全然違う。
本来的には別の言葉が割り当てられてもおかしくないのではないか。
実際、違う言葉で表現する言語もあるらしい、日本語や英語においては同じだけれども。
考えるに、人類が高度な言語を獲得する前から寝てるときの夢は見ていたはずだから、寝る方の「夢」が先に産まれたんだろう。
将来の夢が「夢」に出てくるようなあり得ない話だから、同じように「夢」と呼ぶようになった、と推測出来るのではないか。
将来の夢が夢みたいな話なのであれば、一筋縄では叶うはずがない。
夢を叶えるには特別な条件が必要なのである。

ところで、今頃になって宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。
存在そのものをすっかり忘れていたんだ。
ブルーレイのレンタルランキングを見て、まだ観てないことを思いだした。
観たら予想外に素晴らしいお説教だったな。
若い奴らに最後に言い遺しておくことがあるとすれば、なるほどこれかもしれんと思った。

この『風立ちぬ』はおそらく、何事かを成すのに一番いいときに全力でがんばれ、と言っているのだろうと私は考える。
人間には、何事かを成すのにいいときってのがあるんだよ。
それを逃さず頑張れ!と言ってるんだ。
夢を叶えることが可能なのは、その時しかないかもしれない。
二つの事柄についていいときが被ってしまうこともあるだろうが、可能な限り両方やれって。
後悔しないように。
恋愛要素をかぶせてきたのは、そういうことだろう。

これがなぜ、最後に相応しいのかというと、大抵みんな「いいとき」が過ぎてしまってからそれに気付くからである。
歳をとって自分の人生を振り返ると、スタートが遅かった、とか、あのときもっと頑張っておけばって思うんだ。
でも、手遅れ。
時間は帰ってこない。
私も心当たりがあるよ。
自分の精神が一番充実していた時に資格試験の勉強してて、その時は充実してたんだけど、受かったときにはもう精神の後退期に入ってしまっていた。
いま考えると、やり始めるのが遅かったと思うもん。
宮崎駿だって、もっと早く独立してたら、もうちょっといい仕事出来たんじゃないか、とか思ってるのかもよ。

我々にとってはもう手遅れだけど、若い連中にとってはそうじゃない。
まだ間に合う。
これは死ぬ前に教えておいてやらないと、って思うでしょ。
最後の作品にこれを選んだのも理解出来るな。
年寄りの小言もたまには聞いといた方がいいんですよ。


戻る