なんにも伝わりゃしない

なんにも伝わりゃしない 2006_09_04

 

先日、直木賞作家の某さんが生まれたばかりの子猫を崖から捨てていると雑誌で告白した、という記事を読んだ。
記事に付いているリンクを辿っていくと、それはそれはたくさんの抗議の書き込みがあった。
2chなんかを見ていても、全然関係ないゲームのスレッドで口汚く罵っている連中がたくさんいたのである。
あれはなんというか、困ったことだな。
これから書くことはあまり気持ちのいい話ではないので、読まない方が良いかもしれない。

確かにごく一般的な感覚として子猫殺しはよくない。
殺すぐらいなら愛猫に避妊処理を施すべき、という主張もあってしかるべしである。
しかし、私が最初に考えたのは、なぜわざわざ自分から子猫殺しを告白しているのか、ということであった。
これはおかしい。
なんのメリットもないではないか。

これは単なる私の想像だけれども、おそらく、ペットを飼うこと自体がそもそも人のエゴであって、飼うという行為は果たして許されることなのだろうか、と悩むところがあったのではないか。
で、脳天気にペットを飼って、きっとペットも幸せだわーと思っている人たちが許せなくなった。
だから、もっとも罪深い自分を書くことによって、他の人たちにもペットを飼うことの意味を考えさせようとしたのではないか。
思考の泥沼に読む人を引きずり込もうとしている、と言っていいかもしれない。
人によってはハタ迷惑なことである。

ところが、人様はまるで思うようにならないのである。
なんにも伝わりゃしない。
読み手は都合の悪いことに目を向けないからね。
結果的には、猫好きな人に愛猫精神を発揮させる機会を与えただけに過ぎないのではないか。
抗議の書き込みする人たちは、怒っているポーズを取ってはいるが、実際には書くことで満足を得る。
概ね、仕掛けた方の負けだ。

今の時代は難しい。
常に情報を発信する側と受け取る側がダイレクトに繋がっているのである。
それぞれが勝手に読んで、勝手に反応する。
場合によっては全文を読まないで反応するだろう。
昔はクッションとして権威ある批評家レイヤーがあったのだが、もはやクッションの役割は果たせていないだろう。
発言の意味を紐解いてくれる人など期待できないのだ。
これは恐ろしいことです。

私だって、もしこのページをたくさんの人に読ませるつもりならば、これは書けないな。
この件について、事前に何かアクションを起こしている人が読んでいるかもしれないと思ったら、びびっちまうよ。
ほとんど読む人はいないと思うから、これは書けるのである。


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