大好きな映画がある。 邦題で『ショーシャンクの空に』、原題で『THE SHAWSHANK REDEMPTION』という映画である。 待ちに待ったDVD版が、近頃になってようやく発売された。 この映画の素晴らしいところって、どんなところだろう?、って思い出そうと思ったのだが、これがなかなか出てこない。 見たのが随分前なので、「素晴らしい!」と思ったことだけ覚えていて、細かい部分が再生されないのだ。 アカデミーで『ブレイブハート』に負けたときは、間違ってるよ!と思ったこととか、内容でないことばかり覚えている始末である。 よし、今回はこの素晴らしさを明らかにしてみせるぜ!、と意気込んでDVDを再生することになった。 見終わってみると、なるほど『ショーシャンクの空に』をかつて素晴らしい!と思ったことは間違いでなかった。 だが、ある言葉に違和感を覚えた。 気になった私は、原作である『刑務所のリタ・ヘイワース』も読んでみた。 結果から先にいうと、原作を読んで疑問は益々深まっていったのだ。 私が違和感を覚えた言葉とは「希望」だった。 『ショーシャンクの空に』という映画の中で「希望」という言葉は、一つのキーワードのように語られている。 (もちろん「希望」という日本語ではなく、劇中では「hope」)。 しかし、ティム・ロビンス演じるところの主人公には希望などないのだ。 財産の保全も脱獄後の用意も、刑務所に入る前にはしてない。 原作の主人公には存在する希望が、映画の中では削られているのである。 私がかつて感動したこの主人公のあり方とは、「自分を見失わないで生きる」ということだと感じている。 終身刑を受けたからといって、全てを投げ出してしまわない。 卑屈にならず、出来ることを一つ一つやり遂げていく。 この物語の素晴らしさは、主人公のそういう姿にあるのではないか。 果たしてそれと「希望(hope)」は一致するのか?というのが、私の抱いた疑問である。 どうにも気になって仕方がないので、何回も映画を見直した。 そして、何回目になるかわからなくなった頃、ようやく一つの手がかりを得た。 映画の最後の最後に主人公の友であり語り部でもある男がこう呟く。 「太平洋が夢の中と同じようにブルーであるといいのだが」 そうなのである。 「希望(hope)」とは具体的に実現する何かを指しているのではなかったのだ。 こうだったらいいな。 それだけのことなのである。 仲間にビールを振る舞えたらいいな。 図書館を充実させられたらいいな。 人生をやり直したいと思っている囚人に高卒の資格を取らせてあげられたらいいな。 劇中ではそれを「希望(hope)」と呼んだ。 なるほど「希望(hope)」を人から取り上げることなんて出来ない。 それは誰の胸にもあるものであり、何にも代え難いものなのだ。 私の抱いた疑問は氷解した。 「希望(hope)」を持ち続けていくことは、「自分を見失わないで生きる」ということに他ならないのである。 私はようやく安心することが出来た。 <余談> DVD版『ショーシャンクの空に』には、英語字幕がありません。 嘘でしょ?って感じで悲しかったです。 頼むから全てのDVDに英語字幕入れてよ、ほんとに〜。 <追加 2001_06_20> 受験勉強をしていると「hope」と「wish」の違いについて、否が応でも理解させられる。 「wish」はただ願うだけで、実現のために努力は払わない。 一方、「hope」というのは実現のために努力しようという意志が含まれているし、実現できない希望に対しては使わないものだ。 この映画の主人公は、他の囚人が「wish」に過ぎないと思っていることを、「hope」に変えていこうとする意志を持っていた。 それがこの物語の素晴らしさなのかなあ、と思う。 |