今更見つかっても

今更見つかっても 2017_12_31

 

母に「iPod nano」をプレゼントしたことがある。
母が好きだと言っていた徳永英明のアルバムを入れて。
もう9年半も前のことなのだが。
入院した母が暇だろうと思ってプレゼントしたのである。
なんせ余命半年と言われてたから、何かしてあげたい気持ちもあった。

母の死後、しばらく経ってから私はプレゼントした「iPod nano」のことを思い出した。
勿体ないから私が使おうかと。
しかし、母の遺品を漁っても出てこなかった。
不思議な話である。
死期の迫っている人が子供からもらったものを捨てるとは思えないのだが。

それが今になって見つかった。
年末だからというわけで、家を掃除していたら出てきたのである。
それも普段私がカップラーメンなどを溜め込んでいる棚から。
ここにあるって事は、最後に入院したときは持っていかなかったということだ。
そりゃ二ヶ月後に死ぬ人間が、入院中暇そうだから「iPod nano」を持っていこう、とは思わないわな。
道理で遺品を漁っても出てこないわけである。

9年も使っていなければ、当然バッテリーは切れている。
それでも充電したらちゃんと動いた。
大したものである。
液晶には縦線が一本入っちゃってたけど。
音楽を聴くだけなら、今でも使えそうである。

しかし、よくよく考えてみると案外使いようがない。
「iPod nano」ってランニングに使うには重すぎる。
短い時間に大容量なんか要らないし。
かといって動画を観るかと言えば、今更こんな小さい画面でわざわざ観ないわな。
何ヶ月か前に「iPod nano」の販売が終了した、というニュースを見た覚えがあるのだが、なるほど需要が無いのだろうとは思うね。

さりとて母が使っていたものを捨てる気にもならない。
使えないけど捨てられないものが出てきちゃうのも困ったものだな。
見つからないままの方が良かったかもしれない。



<追加>
検索したら、「nano」だけじゃなくて「shuffle」も販売終了って書いてあった。
ランニングする人はどうするんだ?
ないと困るだろうに。
「Apple Watch」に移行させようという腹かな。


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