実家に帰ると介護の現実を否応なく突きつけられる。 父親がボケてしまっていて、一人では排便も出来ないのである。 ボケてしまった原因がパーキンソン病にあるのか、アルツハイマーなのか、そんなことを考えてももはや意味はない。 誰かが介護しなければならないのだ。 今は母親がやってくれているが、母親が倒れたらどうするのだろうか? 考えるだけでぞっとする。 あれはイヤだな。 何がイヤって、簡易トイレがおいてあるのと同じ部屋で飯を食うのがイヤ。 トイレまで連れて行くのが面倒らしく、簡易トイレが食卓のすぐ近くに置いてあるのだ。 介護している人間からすると、汚いとかより楽な方が優先するらしい。 3日間一緒に暮らしているだけで、もう限界。 頼むからトイレに行ってくれと心から思った。 ところが、そんな私の思いなどには関わりなく尿意は催すらしい。 どうも漏らしたらいけない、という程度の意識は辛うじて残っているらしく、頻繁に母親を呼ぶ。 にもかかわらず母親がマメに水分を与えるのをみて、私は思わず「そんな飲ませたら、よけオシッコ出るがな」と言った。 言ってみて気づいたが、つまり虐待はこうして起こるのである。 これは自分で口に出してびっくりしたな。 飲ませたら、その分出るんだから、飲ませない方がいい。 食うのも同じで食ったらやはり出る。 こっちはもっとイヤだな。 さらには食って体重が増えると立たせるのに力がいる。 一時期食べ物を飲み込むことが出来なくて、胃に穴を空けて直接流し込んでいたのだが、その頃に比べて10キロ増えたそうである。 元に戻っただけとも言えるが、高齢の母親には大変な重労働である。 私は、食わせてはいけない、と思った。 だから虐待は起こるのだ。 ニュースなんかで世話をしない虐待の話なんかをきくと、酷いことをするなと思っていた。 しかし、自分が介護する立場になったら、これは違うな。 おそらく酷く普通の態度なんじゃないか。 だって世話をすればするほど、余計に大変になるんだよ。 これはきれい事じゃ済まないぜ。 今のところ、うちの母親はマメに父親の面倒をみている。 介護していない私が心配になって、施設に預けたらと勧めても、可哀想だからと拒否する。 自分の母親があんなに出来た人だとは思ってもいなかった。 私には到底無理だ。 私であれば今頃加害者としてニュースにでもなっているに違いない。 |