井筒はこう言うだろう

井筒はこう言うだろう 2006_01_10

 

私は井筒の物言いが大好きである。
井筒というのは映画監督の井筒和幸のことだ。
私に呼び捨てにされる覚えはないだろうが、ここでは「井筒」と書いておく。
もちろん、全面的に彼の言うことを支持しているわけではなく、彼の「物言い」が好きなだけなのだが。
私はあのおっちゃんに、こんな質問をしてみたらなんて答えるだろうか、などと空想して楽しんでいる。

たとえば、死ぬまでに何が何でも撮りたい映画の構想があるとします。
でも、莫大な予算がないと撮れません。
事実上、撮影はできない状況です。
そこに敏腕プロデューサーが登場!
「井筒監督!、それ是非やりましょう。
 お金のことは私に任せてください。」
制作がスタートしました。
様々な準備が完了し、今にも撮影が始まるというときにプロデューサーが申し訳なさそうに告げます。
「すまん、主役はキムタクでやってくれないか?
 キムタクじゃないと金が集まらない。
 これだけのプロジェクト、今回を逃したら次はないよ。」

さて、井筒はなんと答えるか?
きっとやつは蹴るだろうな。
ジャニーズ大嫌いだから、死んでも首は縦に振らない。
限りなくゼロに近いチャンスを待つ選択をするんじゃないか。

なんでこんな話から書き始めたかというと、やっとこさ最新作の『パッチギ』をDVDで観たからである。
観ようと思うまでに時間がかかったし、見終えるまでにも時間がかかった。
というのも、あまりにも嫌らしいシーンが続くので、途中で何回も中断したからだ。
中断するたびに「井筒、若いな」と呟きながら。

井筒は基本的にいつもこう言っているのだと私は思っている。
直接的な感情だけが人間を救済するのだ、と。
「誰々が好きだ」とか、「女の子にもてたい」とか、「なんか誰某ムカツク」とか、そんな人の思いを描こうとしている。
逆にいうと、「何々が起こるといけないから、こうしておこう」とか、「我々は何々主義だから、こう行動すべきだ」などという間接的な思考が人間を不幸にするのだ、となるかもしれない。
今回の『パッチギ』も同じことを言っているのだろう。

ただ、今回は世の中が右傾化していることもあって、表現者としての責任感みたいなのが強くでている。
表現する機会を持っている人間にはその責任があると思っているのではないか。
見る人に媚びる感じがなくて、観ていて痛々しいばっかりだな。
これを観て、すばらしいね!と思う人は、はじめから観る必要なんかないんじゃないの?
もうわかってるんなら、観なくていい。
本来観ないはずの人が思わず観たくなるように、騙しにかかることも必要なんじゃないか。
まあ、井筒は宮崎駿にはなれないんだろうなあ。

しかし、私ごときにこんなことを言われていると知ったら彼は激怒してこう言うかもしれない。
「何のために、出たくもないテレビに出とると思っとんねん!
 ふざけるなっ!!」


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