ラーメンの生い立ち

ラーメンの生い立ち 2006_03_28

 

私は食べ物を購入するとき、必ずカロリー表示を確認する。
気になる年頃なのである。
人の2倍食べておいてカロリーも糞もなかろうに、と言われるのだが、その指摘は正しくない。
人の2倍食べても一人前当たりのカロリーが半分ならば問題ないからである。
実際にはカロリーが半分の食べ物を4倍食べるので、やはり2倍のカロリーを摂取していそうなのだが・・・。

ところで、インスタントのラーメンと焼きそばのカロリーを比べてみると、ラーメンのカロリーの方が低いことに気付く。
ラーメンは大体350〜450Kcalだが、焼きそばは500〜600Kcalなのである。
おおよその見当で、2割ぐらい焼きそばの方が高カロリーなのだ。
カロリー表示を見ると、私はどうも焼きそばを食べる気になれない。

さて、では、なんでラーメンのカロリーの方が低いのか?という問いが生まれてきそうである。
この答えは簡単。
単純に麺の量が2割ぐらい少ないのだ。
麺の質に違いがあるのかもしれないが、私にはわからない。

同じ一食分なのに、麺の量が違う。
これは大変面白いな。
私はラーメンの生い立ちを想像していた。
ラーメンは貧しい暮らしの中から生まれたんじゃないか。
以下に書くことは、私のいい加減な知識で考えた事に過ぎない。

古来、東アジアに住む人々は、できることなら米を栽培したかった。
人口支持力が強く、ある程度の降雨量と日照時間さえあれば土壌を選ばない米の方が有り難いのである。
米を作らないのは米が作れないからだ。
小麦を作っている時点で、少し不憫である。

しかも、小麦は収穫後すぐに挽かなければならない。
そのままで長期保存することはできないそうだ。
だから、食べる時点で小麦は常に粉である。
この粉で空腹を満たす方法を考えなければならない、できればより美味しく。

大体貧しい人間が考える事なんてのはどこでも同じで、やはり水につけてふくらませようとするだろう。
その昔大ヒットした「おしん」なんかでも、貧農は米を粥状にして食していたのを窺い知ることができる。
ところが、小麦は粉だから水につけると、歯ごたえも何もなくなってしまう。
貧しい暮らしをする人にとって小麦は何とも味気の食材だったろう。

そんな折、小麦粉に鹹水(かんすい、塩分を含んだ湖水のこと)を混ぜてこねるとコシが出る事に誰かが気付いた。
その当時の人に小麦に塩分を加えるとグルテンというタンパク質が結合してコシが出るんだ、なんて事はわからないから、たまたま塩湖の近くに住んでいた人たちが見つけたんだろう。
コシが出た状態なら、細くしても歯ごたえを残しつつスープと絡ませることができるじゃないか!
きっと一番最初に発見した人は歓喜しただろうな。
小麦はついにご馳走になったのだ。

そんな想像をしていた私は、このところお店でラーメンを毎日食べていた。
一週間ほど研修で外出していたので、散歩がてらラーメンを食べ歩きしていたのである。
ラーメン屋ってのは適当に歩いていてもすぐに見つかるのだ。
そして、どこもまずまず凝ったラーメンを出してくることに驚いた。
日本のラーメンは一つの文化だ。
美味しいものを作ろうとしているのではなく、美味しいラーメンを作ろうとしているのである。

しかし、ラーメンを最初に創った人が現在の日本のラーメンを見たらびっくりするかもしれない。
おいおい、ちょっと待った!
それ、出汁に使わないで、そのまま喰おうぜ。
その方が美味しいって、って言うんじゃないか、などと私は空想していた。


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