私はいない

私はいない 2006_01_04

 

私は特定の神を信じる人と論争するつもりはないし、魑魅魍魎が見えてしまう人を正気に戻してやろうとも思わない。
言い争ったところで、どうしようもないと私は考えている。
人間の世界というものは、一人につき一つ存在するのだ。
特定の神を信じる人の世界にはその神がいるし、魑魅魍魎が見える人の世界にはそれがいるのである。
この文章を読んでくれる人がもし私の隣にいたら、きっと私が見えるはずだと私は期待しているが、それはその人が認識しているから私がいるのである。
見えないのであれば、その人の世界に私はいない。
それだけのことだ。

この正月、帰省して大変ショックな事があった。
おとっつぁんがボケていたのである。
どうも幻覚や妄想にとりつかれているようで、長年住んでいる家のことを、別の施設か何かだと思っており、ここの施設は我が家にそっくりだ、などと呟く。
自分の親がボケるとこれはビックリするな。

以前から、パーキンソン病に懸かっているのではないか、という話は聞いていたのだが、私は信じていなかった。
もともと意味のないゲームに挑むことの出来ない体質で、定年後何もせずぼーっとしていたので、単にやる気がないだけだと思っていた。
しかし、事ここに至って信じないわけにはいかなくなった。
パーキンソン病というのは筋肉が痙攣するだけではなく、幻覚を見たり、妄想に囚われたりするのなんかも典型的な症状なんだそうである。
もしかすると、アルツハイマーとの合併症なのかもしれないが、それは私の知るところではない。
いずれお医者さんが判断するだろう。

私はこの帰省中、ずっとおとっつぁんに、この家はおとっつぁんの家で何処か別の施設ではない、と説明し続けてきた。
この人はどの程度まともなんだろうかと、説明ついでに色々質問してみたのだが、長男、つまり私の兄の名前も出てこないときがある。
いつもというわけではないが、記憶が飛んでしまっているようだ。
これは重症である。
いずれ私の名前も忘れられてしまうだろう。
いや、そのうち私の存在すらも忘れてしまうかもしれない。

それはまあ、病気だと思えば致し方ない。
問題は、私はあなたの息子です、と主張すべきなのかどうか、ということである。
おとっつあんの世界に私がいないのに、別世界の人間が、私はいたはずだ、と主張することに如何ほどの意味があるというのか。

しかし、それでも私はやはり主張せざるを得ないだろう。
私の世界では私はおとっつぁんの息子だからね。
これは私の事情だから仕方がない。


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