私は『機動戦士ガンダム』以外の「ガンダム」を許さない。 いわゆる「ファーストしか認めない派」である。 まあ、「派」を語るほど、その道の事情に詳しいわけではないのだが。 きっとそういう方が他にもいるだろうし、反対の立場を取る方もいるだろう、と想像しているだけの話である。 一体やぶからぼうに何の話だい?と思うかもしれないが、私はいま激しく主張したい! 私がファースト以外認めないというのは、なにもファースト以外が面白くないといっているのではなく、「ガンダム」という名をかたること自体が美しくないからイヤだと言っているワケだ。 幼き日の私は、主人公がアムロじゃないのに『Ζガンダム』という名前なのが許せなくて、「俺は絶対見ないぜ!」と意地を張って見なかったものだ。(アムロが登場する回だけ見たけど) いったい当時自分が何歳だったのか覚えていないのだが、自分の意地の張り様にホレボレする思いである。 子供の時の自分、素晴らしいぜ! もっともこのときの私は美しさを考えていたわけではなく、主人公がアムロでないことに腹を立てていただけなのだが。 ところで近頃私は、自分の「ファースト以外許さない」という主張を補強する論拠を発見した。 それは『機動戦士ガンダム連邦vsジオン&DX』というゲームのオープニングの中にあった。 「一機のモビルスーツとひとりの少年が運命的な出会いを果たしていた」というくだりである。 私の記憶が確かならば、これはアニメのオープニングと同じだと思うのだが、調べてはいない。 そうなんだろうと思って話を進める。 子供の時にはなんにも感じなかったのだが、このメッセージの指し示すものは非常に興味深い。 このフレーズが何を言っているかというと、「『機動戦士ガンダム』はガンダムとアムロが出会うことで始まる物語なんだ」ということである。 そしてそこに描かれるのは、アムロが人間として、あるいはニュータイプとして成長していく様なんだ、ということだろうと私は思う。 つまり私が子供の頃感じていたことは正しかったということである。 アムロとガンダムが紡ぐ物語でないならば、即ちそれは「ガンダム」ではないのだ。 私はファースト以外は認めないという自分の主張にますます自信を深めるのであった。 ただ、反対の立場に立つ方はこうも主張できるだろう。 主体はアムロじゃなくてもいいだろう?と。 それが誰であれ、人間として、ニュータイプとして成長する様を描いているのならば、「ガンダム」でいいんじゃないの?と。 そういう主張もあるいは成り立つかもしれない。 私はその後の派生ガンダムを知らないので、この条件を満たしているかどうか判らないのだが。 しかし、その場合であってもやはり「美しくない」という理由で私は認めない。 つまりどういう事かというと、テコでも私は認めない、ということだ。 この意地は張り通したい! それが私の主張である。 <後日談 2002_11_30> 今日スーパーに行ったら、ピカチュウのポスターが貼ってあった。 どうもクリスマスキャンペーンのものらしい。 ポスターを見て、あっ!と思ったのだが、あのピカチューの隣にいるバッタもんみたいなのは何だ?! 「ピチュー」とか言うんだっけ? 私はああいうの見ると、美しくないなあ、と感じる。 クリエイターの皆さんにはもっと高貴な精神をもって頂きたい。 いや、まあ、ポケモンの設定は全然知らないんだけど。 |