生きるってめんどくさいね

生きるってめんどくさいね '99_05_26

 

生きていくって、ホントめんどくさいことだとしみじみ感じました。
いや、まあ、たいした話じゃないんですけどね。

仕事から帰ってくると、ドアに一枚の紙切れが挟まっていたんです。
それはゴミの分類に関するものでした。
これからは可燃ゴミと不燃ゴミの分類がうるさくなると聞いてはいましたが、
事細かにかかれたその紙を眺めていると、何もかも投げ出したくなりました。

ペットボトルは、洗って潰して回収ボックスまでもっていくこと、とか、紙パックは区民センターの回収所までもっていくこと、とか。
嘘でしょ?何も買えない、何も食べられない、といった絶望感に襲われます。

読んでいると、『いつから』という記述がなかったり、具体的に『どこへ』という指示がないことにも気づきます。
自分で調べろということなのでしょうか?
ますます気が滅入ってきます。

実は、私は以前からゴミ行政はもっと厳しくていい、という持論を持っていました。
ゴミを捨てるのにコストがかかるなら、もっと負担を強いるべきだと思っていたのです。
ゴミに名前を書いて、責任を持たせる案にも賛成でした。

しかし、いざ自分が当事者になってみると、大変面倒なことです。
部屋にため込んだ45Lのゴミ袋にいっぱいのペットボトルを眺めると、どうしたものかと途方に暮れてしまいます。
せめて今ある物だけでも捨てさせて欲しいなあ、そうすればこれからもう、何も買わないのに・・・、なんて思いました。
身動きする気力すら失せてしまいそうです。
生きるって、こんなにめんどくさい物だったのでしょうか?

まあ、そういう意味では、このゴミ対策は効果的かもしれません。
リサイクルを推し進めるための措置なんでしょうが、実際には消費を鈍らせる方向でゴミ減量を達成するに違いありません。
それはまた、私が以前から考えていた事と違いません。
資源には限りがあります。
消費は抑えるべきなのです。
あるべき方向へと向かっているのです。

それなのに、私は暗い気分になっています。


<後日談 '99_05_30>

ゴミを分け始めてみると、不燃ゴミが非常に多いことに気づきます。
今まで可燃ゴミにしていた物の半分は不燃ゴミでした。
しかし、これほど不燃ゴミがあるとは驚きでです。
これを全部埋め立てるんでしょうか?
捨てるところがないといわれている東京都はどうするんでしょうね。
思うのですが、出来るだけ燃やせるように、買い物袋や食品のトレイは紙製
にすべきなんじゃないかなあ。
基本的に木を作って燃やす分には足し引きゼロだから。(二酸化炭素的に)


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