マヌケ過ぎる時代

マヌケ過ぎる時代 2010_09_06

 

私は2年前まで携帯電話を持っていなかった。
携帯なんか持って無くても、私は全然不自由を感じなかったのである。
人間知らなきゃ知らないでどうにかなるもんだ。
しかし世の中2年前ですら、もうほとんどの人が携帯電話を持っていた。
私は例外としても働いている人なら100%に近かっただろう。
一時期人気があった貧乏人を紹介する番組に登場する連中ですら、大抵は携帯電話を持っていたものである。
それだけ携帯電話が便利であるということなんだろう。

ところで、今頃になって村上春樹の『1Q84』を最後まで読んだ。
非常に面白かった。
村上春樹ほどのビッグネームにしては露骨に読者に媚びているような気がして、あんまり褒めたい気分にはならないけど。
私の感想はどうでもいい。
物語はパラレルワードであるにせよ、別の何かであるにせよ、1984年の設定になっているようだ。
1984年って当たり前だけど携帯電話がないよな。
登場人物達は固定電話を使っている。
また外出したときは公衆電話を使う。
いったん外出してしまうと、相手が固定電話に出られる状態にないと連絡がつかない。
これは凄く都合が良いことだなと思った、物語を創る上に於いて。

今どきのドラマなんかでは多くの場合、登場人物が携帯電話を落としたり、水に浸けたりといったシーンを見ることになる。
ちょっと不自然なぐらいに。
そんなとき、「ちょ、マヌケ過ぎる」っていつも私はつぶやくのだが。

しかし、今の時代では登場人物はマヌケにならざるを得ない。
物語を創るには何らかのトラブルに巻き込まれなければならないのに、携帯電話が一つあるだけで多くのトラブルが解決しちゃうんだ。
だから持ってちゃいけない。
でも、今どき全員が持っているから、持っていない、使えない、ということを明示的に説明しなければならないのである。
おかげでどいつもこいつもマヌケになった。

そう考えると、1984年って時代設定はなかなか面白いかもしれない。
時代劇でもないし、中世ヨーロッパ風ファンタジーでもないからといって、何もいま現在の物語を創る必要なんてないじゃないか。
20年前でも30年前でも良いんだよな。
携帯だけじゃなく、インターネットも普及してなかったわけで、随分と物語も創りやすそうである。
その世界の登場人物はそれほどマヌケじゃないに違いない。



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