気が重いこと

気が重いこと 2004_09_09

 

人様から物を借りる、人様の時間を使わせる、というのは気の重いことだな。
ホントにイヤでイヤで仕方ない。
こんな仕事からは早くおさらばしたいものである。

私は人に物を貸したり、あげたり、人のために何かしてやったりするのが大好きである。
ココで言っている「何かしてやる」というのは、自分を成立させるための継続的な行為ではなく、一時的な行為のことだ。
それは間違ってもボランティア精神にあふれているからではなく、自分が優位に立てるからに相違ない。

子供の頃から人に物あげるのが好きで、私はよく友達に物をあげた。
私などは甘やかされて育ったので大抵何でも買ってもらえたのだが、世の中には週刊ジャンプを買ってもらえない(おそらく教育上の配慮から)子供なんてのもいるわけで、私は読み終わったジャンプをあげたりしていたものである。
学生時代などは親に生活費をもらっていたにもかかわらず、しばしば後輩に飯をおごってやったものだし、いまでも他人(ひと)の壊れたパソコンを自分のパーツを使って復旧してやったりしている、もちろんタダで。
私にそれをなさしめるのは、おそらく優越感だろうなと私は自分で思っている。
失う側の方が相対的に上位になるのである。
これはとても気持ちいいのだ。

ところが、逆は辛い。
仕事でどうしても実験設備を借りなければならなくなった。
それは私の事情ではなく、私に仕事を押しつけてドイツに遊び(研究し)に行ったA氏のせいだというのに。
実験設備を借りるだけならいいのだが、実験設備を借りるということは、必然的に使い方を教えてもらわなければならない。
時間に追われている研究者に時間を使わせなければならない心苦しさ。(おまけに話がちゃんと通ってなくて、意思疎通ゼロ)
自分がドンドン卑屈になっていくのを私は感じていた。

ホントに投げ出したくなって、「俺ハート弱ぇーなー」と思わざる得なかった。
一方、世の中には人に迷惑をかけても卑屈にならない、ハートの強い人間も存在する。
むかしゲーム話の「困ったこと」に登場したI氏なんかは、何億円もする実験設備を借りて、一人だけよそ者状態で実験していても全く卑屈にならない。
ああいうハートの強い人間は羨ましいな。
まあ、ハートの強さにはそれなりの裏付けがあるんだろうが。

私はダメだ。
人にものを借りたり、人に時間を使わせたりすることに耐えられない。
マジで逃げ出したいのだが、この状態は当分続きそうなのである。
まったく気の重い話だ。


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