酔っぱらい

酔っぱらい 2003_01_31

 

私は寝る直前以外はお酒を飲まない。
飲もうと思えば相当飲めるが、飲むとそれから先の時間が無駄になってしまうので、あまり飲みたくないのである。
ゲームをするのが私の本分だからだ。

かといって、お酒を欲しないかというと、やはりそんなことはない。
ときどき無性に飲みたくなる。
ただそれは、お酒が好きだというわけではなく、単に酔っぱらって我を忘れたいだけだと思っている。
学生の時分はいざ知らず、今の私はそういう飲み方を欲してはいない。

先日ちょっとした飲み会に出なければならず、渋々お酒を少しだけ飲んでいるときに、「日本人は酔っぱらいに寛容だよね」という話がでた。
まったくもって、日本人は酔っぱらいに寛容なのである。
私は非常によく知っている。

欧米人なんかは酔っぱらいに厳しいんだそうだ。
酔っぱらって醜態をさらすと周囲の人間に、「こいつは駄目だ」と認定されてしまう。
一方日本は「酔ったときは仕方がない」という意識が大勢を占めている。
この差はいったい何なんだろう?
そう思うと、頭の中で「テツandトモ」が「なんでだろう〜♪なんでだろう〜♪なんでだなんでだろう〜♪」と踊り始める有様であった。

この違いは様々な側面から捉えることができるだろうが、私は「並みの日本人」、あるいは「中流意識を持つ日本人」という観点から考えてみたい。
日本は「並みの人間」の認定幅が広いのである。
たとえば、アメリカなんかだと「私は中流階層に属しています」と自分を認識している人の下限ラインは総人口の真ん中よりも相当上の方にくる。
対する日本はそのラインが真ん中よりも下に来てしまう。

ところが、人間は非常に弱い。
お酒に逃げないで生きていける人間が一体どれほどいるだろうか?という話である。
「並みの人間」のラインを総人口の真ん中より下に設定してしまうと、どうしたって酔っぱらいも「並みの人間」の中に入ってきてしまうのである。
だから日本の現状では酔っぱらいも許容されなければならないのだろう。

アメリカ社会なんかでは、酔っぱらいはダメ人間として「並みの人間」のグループから排除できるのだ。
集合が小さいから。
私達がアメリカの一般常識として知っている「アメリカ人は酔っぱらいに厳しい」という情報は、そういう少数派でありながら、社会の核として機能している人々の話なのだろう。

もっとも、これからは日本もアメリカと同じになってくるかもしれない。
社会環境が厳しくなってくると、大きな「並みの人間」グループは維持できない。
支えてあげる余裕がなくなってくるからだ。
ワケがわからなくなるまで飲んじゃう人達が「並みの人間」グループから排除されてしまう日はそう遠くないのかも。

私は望むところだけど、果たしてそれが良いことなのかというと、答えに窮する。
それは要するに、生きることがたいへんな世の中になる、ということだからね。

なんでこんな話を書いているのかというと、今日職場に行ってみると私の座席の下に酒をこぼした跡があって、一日中酒臭い思いをしたからである。


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