方言というヤツは、なんだかとても魅力的である。 標準語にはない力があるのだ。 私は文語と口語をまぜこぜに書いてやろうといつも思っているし、口語で書くときにはぜひ方言を織り交ぜていきたいとも思っている。 自分とこのお国言葉じゃなくても気にせず書いちゃったりしているわけである。 当然日常会話においても、ぐいぐい方言を使っていきたい。 自分が方言を使っているという認識があれば、相手が文脈を理解しているのかしてないのか顔を見ればわかるので、全く問題ないのである。 しかし、自分が方言だとわかっていないと大変困った事態になる。 当然伝わっていると思いこんでいるので、相手の顔色までチェックしていないのだ。 こんな話を書いているからには、そういうことがあったわけである。 私は「ほかっておく」という言葉をよく使う。 ここでもよく使っているはずだ。 標準語では「ほうっておく」と書くべきなのだろう。 私は「ほうっておく」でも「ほかっておく」でもどちらでも構わない、と思っていたのだが、確かに「ほかっておく」という標準語は存在しないようである。 関西には「ほかす」という方言が存在するが、京都出身の人に聞いてみたところ「ほかっておく」という言い方はしないそうだ。 どうも東海地方でだけ使われているようである。 つい最近になって、「ほかっておく」って方言だよね、と職場で向かいに座っている人間から指摘された。 アンケートなんかが回ってくると私はよく「こんなのほかっておいてもいいですよね」などと話していたのである。 自分から敢えて「ほかっておく」と喋っている分にはいいのだが、気づいていないのは不味いな。 こちらの意志が伝わってなかったかもしれない。 前々からおかしいと思っていたと彼はいうのだが、なぜ教えてくれないんだ。 知り合ってから9年も経っているじゃないか。 こんな人間しか自分の周りにはいないのかと思うと、ますます人間が信じられなくなっていくのである。 |