>エンコードとデコード 2003_10_06

エンコードとデコード 2003_10_06

 

契約しているプロバイダーからメールが来た。
何かと思ったら、契約内容の変更に関するものだった。
といっても、私に関係があるのはホームページの料金だけなのだが。
今までは10MBまではタダだったのが、50MBまでタダになるという。

自分のHPのサイズは一体いくつなのか?
今まで全く気にしたことがなかった。
で、調べてみてびっくりしたのだが、全部足してもわずか1.3MBしかなかった。
5年も書き続けてきたのに!
いかに与太話とはいえ、これはちょっとショックだった。
H画像数枚程度の情報量しかなかったとは。
最近、自分の文章は長くなってきたな、と感じていたのだが。

しかし、よくよく考えてみると、1.3MBにすべてが入ってしまうということは、情報が圧縮されているということである。
私の持っているイメージはさすがにもうちょっと大きい。
つまり私がこうして書いている文面が既に圧縮されているのだ。
情報の世界ではそれをエンコード(符号化)という。
それは「これこれこういうことは、こう書こう」という私の約束事。
私の発信したいと思っている情報は私の中でエンコードされて、文面に置き換えられているのである。

そして、この文面を読む方はそれを展開をして理解していることになる。
そういうのを情報の世界ではデコード(復号化)という。
それは「これこれこう書いてあったら、こういう意味だ」という読み手の約束事。
私の文面がどうあれ、それから得られる情報がいくら何でも1.3MBしかないということはあるまい。

ところで、私はいつも、自分の考えていることをきちんと伝えることは難しいな、と感じている。
それでどんどん文章が長くなっていくのである。
最近書いたものは、このHPの立ち上げ当初に書いたものより遙かに長い。

どうして言葉で伝えることが難しいのか?
この問いへの答えは、エンコードの符号化規則とデコードの復号化規則の違い、という点を考えるとわかりやすいんじゃないか。(表現力が拙いからだという理由は別にあるとしても)
人間は一人一人異なる符号化復号化規則を持っているのである。
それはこれまでの生き方によっても異なるし、場合によっては、そのときの気分で変わってしまうこともあるだろう。
私のエンコードと読み手のデコードの規則が違ったら、そこから得られる最終的な情報も異なることになる。

で、言葉の数が少ないと誤差が大きくなるので、出来るだけ一致させようとすると必然的に文章が長くなるのだ。
同じことでも複数の言い回しで表現してしまう。

文面が長くなると言い訳がましくて良くないなあと思ってはいるのだが、こうして私の文章は長くなっていくのである。
本当はもっと短く強い言葉で書きたいのだが。
もっとも長くなってもほんの数KB程度なので、いつまで経っても私のHPはタダ。
死ぬまでかかっても50MBは書けないだろう。


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