服を着るのは何のため

服を着るのは何のため 2005_04_14

 

フジvsライブドアの戦いは面白いな。
あんなに面白い話は創ろうと思ってもそうそう創れない。
ソフトバンク・インベストメントの北尾氏がまたいいキャラなんだ。
これはますます楽しみになったぞ、と思っていたら、最近あまり情報が出なくなってきた。
おまけに昨日今日(4/14現在)あたりの情報によると、両者痛み分けで和解しそうだという話で、大変残念なことである。

それとは別に私には一つ興味のある事柄があった。
それは堀江氏がフジの日枝会長と会うときにネクタイを締めて正装していくのかどうか、ということである。
これで堀江氏がどんな人間か分かるんじゃないか。
私は近鉄買収の件以来、この男は酷く胡散臭い、ばくち打ちみたいなヤツだなという印象を持っているのだが。

「服を着る」ということは、「自分は理性の支配下にあります」と周りに知らせる役割を果たしている。
現在の人間は寒いからというだけで服を着ているのではない。
どんなに暑いときだって少なくともシャツぐらいは着るでしょ。
例え理性の支配下にある人間であっても、ヌーディストなんかが街を歩いていたら、ちょっと声はかけられない。
つまり外形的に理性の支配下にあるようには見えないのである。
だからみんな服を着る。
じゃあ同じ服を着るにしても、正装することにどんな意味があるのか。

ビジネスマンにはビジネスマンらしい格好というのがある。
それはある種のフォーマットであると言っていい。
そのフォーマットに乗っかることは、ビジネス世界のルールを遵守する人間です、とアピールしている事になるだろう。
よく知っている間柄ならともかく、よく知らない人には安心していただく必要があるのである。

で、堀江氏の服装の話である。
私は彼がネクタイを締めて、ビジネスマンらしい格好で日枝会長に会いに行くのが真っ当だろうと思っている。
胡散臭い人間だと思われているわけだから、相手に自分はルールを遵守する人間であると理解してもらわなければならない。
今までネクタイを締めなかったことが幸いして、そのギャップは彼をより信頼の置ける人間に感じさせることだろう。

もちろん一個人の美しさという意味では、あくまでネクタイは締めない方がいいわけだが、社員や株主の幸せを託されている人間としてそういう行動を取っていいのかどうかは難しいところである。
美しさは自分を不利に追い込むことによってより輝く、という観点からは、正装して出向いた方が美しいとも言えるな。
さあ、彼はどうするのか?というのが私の興味であった。

しかし、どうも敵対的な状態で堀江氏と日枝会長が会うことはなさそうである。
敵対的な関係が解消された後なら当然堀江氏は開襟シャツで出てくるだろうし、日枝会長もそれを大いに許容するだろう。
そんなのはつまらないね。
私はフジvsライブドアの戦いが終わりを告げようとしていることに大変不満なのである。


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