ドラえもんとカオス理論

ドラえもんとカオス理論 2006_04_05

 

たまたまなのだが、ゲーム『ドラえもん のび太の恐竜2006DS』をプレイした直後に、映画『バタフライ・エフェクト』をDVDで観た。
「バラフライエフェクト」ってのはカオス理論を説明するときに良く用いられるロジックで、蝶の羽ばたきが地球の反対側で台風を起こす、というような話だ。
「カオス理論」といっても、人によって定義が異なるようだが、ある事象が予測不可能な変化をもたらす、という程度に私は理解している。
私が過去に何度か書いた「カオス」は、この意味である。

小学生の頃、映画『ドラえもん のび太の恐竜』を観て、私は大変感動したけれども、「カオス」という考え方を知ると、ちょっとドラえもんは受け入れられない。
あれはメチャクチャである。

例えば、ドラえもんが2億年前に行って、何もせずに帰ってきたとする。
ドラえもんは「ボクは何もしてないし、足跡も付かないから、歴史は変わらないよ」と主張するかもしれない。
が、実際にはそうではないはずだ。
何もしていなくても、本来はそこにあったはずの空間をドラえもんが占めているというだけで未来は変わる。

もう少し具体的に書くと、ドラえもんが占めた空間にいたはずの微生物がいなくなったために、その微生物を食べるはずだった虫が飢えて死んだ、なんてことがあり得る。
すると、その虫を食べるはずだった始祖鳥は別の虫を食べるだろう。
その喰われた別の虫が毒を持っていたために、恐竜へと進化するはずだった始祖鳥が死ぬ、といった具合に、事態はどんどん変化していく。
時間軸を長く取れば取るほど変化は大きくなっていくし、それを予測することは不可能である。
例え見守っているだけであっても、タイムトラベルなんてのはやってもらっちゃ困るのだ。
ましてや生まれなかったはずの首長竜を過去に戻してやるなんてのは以ての外である。

ドラえもんの世界では変化が限定的なので、常に目先の結果さえ良くしておけば大団円になる。
しかし、そうなるはずはない、実際には。
そうはならないことを私たちは知ってしまった。
映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』の予告編を見るだけで私なんかいまだに目頭が熱くなるけど、いま観ても果たして感動できるかな?

ゲームがきっかけで『ドラえもん のび太の恐竜』の事を思い出して、DVDでもかりてこよっかな、と思ったり、余計なことはしないほうがイイかと思ったり。
色々なことを知ってしまうのも考えものである。


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