顔認識よりも大事なこと

顔認識よりも大事なこと 2009_02_24

 

近頃、人の笑顔を認識してシャッターを切るカメラ、なんてのがもて囃されている。
パターン認識の世界では「顔」はひときわ重要に扱われていて、顔学会なんてのもあるぐらいである。
顔の識別はセキュリティなんかに応用が効くので、予算が取りやすかったりするからかもしれない。
しかし、大事なのは顔を認識することだけなのか?
私はもっと大事なものがあるような気がするのである。

職場のトイレは全部ウォシュレット完備である。
すばらしい。
オシリに優しい職場というのは本当に有り難いモノである。
歳をとると、なかなか傷が治らないので、拭きすぎて切れ痔!といった事態は絶対に避けたい。
ウォシュレットのない自宅で致すぐらいなら、職場で致したいものだといつも思っている。

とはいえ、ずっと職場にいるわけじゃないから、ウォシュレット無しで致さなければならないこともあるのである。
で、念入りに拭いていれば切れることもある。
そりゃ、不可避なこともあるだろう。

職場のトイレはもちろん自分専用じゃない。
あれはどういうワケなのかな?
どうして水圧を最強にしちゃうのかな。
世の中にはよほど丈夫に出来ている人もいるんだな。
最強になっているのに気付かないで、まともに受けてしまうことがある。
というか、今日あった。
切れてるところにこれはタマラナイ。
痛いじゃないか。

そこで私は思うのである。
せっかくの認識技術をオシリにも使ったらいいじゃないか、と。
「ああ、このオシリは弱い水流が好みだったな」とか、「おっとっとー、このオシリ切れているじゃん、弱めにしておこうかな」とか、ウォシュレットが気を遣ってくれたらいいのに。

人間食べたら、必ず出さなきゃならない。
表裏一体である。
尻認識によるオシリの保護。
これは是非やって頂きたい。


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