感じ方の違い? 2000_02_27

感じ方の違い? 2000_02_27

 

意外な人の口からその本の名前は飛び出した。
・・・といっても直接聞いたわけではないのだが。

私は佐野元春が好きだ。
これは兄の影響が大きい。
半ば無理矢理聴かされて、気に入ってしまったのだ。

先頃、その元春先生の20周年記念アルバムが発売され、それについて
本人のコメント記事を読んだ。(余談だが、私は佐野元春を『元春先生』
とよぶ。理由は自分でもわからない)
そこで意外な本の名前を目にした。
その本の名は「ライ麦畑で捕まえて」。(サリンジャー著)
そして元春先生と自分の間にある感じ方の違いに驚きを覚えた。
自分も読んだことのある本を、仮にも『先生』づけして呼んでいる方が
読んで影響を受けているということは嬉しかったが。

私が「ライ麦畑で捕まえて」を読んで感じたのは、『それは誰もが通り
過ぎることだし、とりあえず過ぎたことにしておけなければ生きていけ
ない』ということだった。
読んでいて苦しさばかりが付いてまわった事を覚えている。
しかし、元春先生はそれを『無垢さ』であると表現している。
そしてそれを追いかけ続けていきたいと。

私が感じたことと元春先生が感じたことは、果たして同じ事だったのだ
ろうか?
同じであったとすると、私は『無垢さ』を否定していることになる。
そんな馬鹿な!
私は誰よりも『無垢であること』を希求していると思っていたのに・・。
私が追い求める『美しさ』と『無垢さ』は、決して相反しないはずだと。

もう一度考え直す必要があるかもしれない。



<付記>
「ライ麦畑で捕まえて」(サリンジャー著)という本に説明を付けると
したら、果たしてどう書くべきだろうか。
色々考えてみたが、どうやら私には荷が重いように思うので、知りたい
方はご自分で探してください。(インターネットで探せば、大抵すぐに
見つかると思います)


戻る