意外な人の口からその本の名前は飛び出した。 ・・・といっても直接聞いたわけではないのだが。 私は佐野元春が好きだ。 これは兄の影響が大きい。 半ば無理矢理聴かされて、気に入ってしまったのだ。 先頃、その元春先生の20周年記念アルバムが発売され、それについて 本人のコメント記事を読んだ。(余談だが、私は佐野元春を『元春先生』 とよぶ。理由は自分でもわからない) そこで意外な本の名前を目にした。 その本の名は「ライ麦畑で捕まえて」。(サリンジャー著) そして元春先生と自分の間にある感じ方の違いに驚きを覚えた。 自分も読んだことのある本を、仮にも『先生』づけして呼んでいる方が 読んで影響を受けているということは嬉しかったが。 私が「ライ麦畑で捕まえて」を読んで感じたのは、『それは誰もが通り 過ぎることだし、とりあえず過ぎたことにしておけなければ生きていけ ない』ということだった。 読んでいて苦しさばかりが付いてまわった事を覚えている。 しかし、元春先生はそれを『無垢さ』であると表現している。 そしてそれを追いかけ続けていきたいと。 私が感じたことと元春先生が感じたことは、果たして同じ事だったのだ ろうか? 同じであったとすると、私は『無垢さ』を否定していることになる。 そんな馬鹿な! 私は誰よりも『無垢であること』を希求していると思っていたのに・・。 私が追い求める『美しさ』と『無垢さ』は、決して相反しないはずだと。 もう一度考え直す必要があるかもしれない。 <付記> 「ライ麦畑で捕まえて」(サリンジャー著)という本に説明を付けると したら、果たしてどう書くべきだろうか。 色々考えてみたが、どうやら私には荷が重いように思うので、知りたい 方はご自分で探してください。(インターネットで探せば、大抵すぐに 見つかると思います) |