「DEAD POETS SOCIETY」、邦題「いまを生きる」。 かつてこの映画を見て、大変感動したことを覚えている。 しかしながら、この映画の原題が「DEAD POETS SOCIETY」であることを、私は 知らなかった。 この映画を見たのがいつのことだったか、思い出すことが出来ない。 学生時代、研究室にいたマレーシア人の友人と映画の話をすると、タイトルが かみ合わないことが多かった。 以来、原題を気にするようになったので、それ以前に見たのだろう。 すると、少なくとも5年は前のはずだ。 DVDで見直してみて、ほとんど内容を忘れている事に気付かされた。 この作品を見て、ロビン・ウィリアムズのファンになり、彼の出ている作品は、 欠かさず見ていたのに。 ひょっとすると、当時は気付かなかったことに、今になって気付くようになっ たのかもしれない。 折角なので、まず英語字幕で見てみた。 DVD版を購入するのは、英語の勉強にもなるだろう、という算段があるからだ。 しかし、字幕ばかり目が追ってしまい、細かな表情を捕られないので、2回目 からは字幕を消してみてみた。 なるほど、そこには若者達の群像があった。 それは、この人生が確かに自分の物だと叫ばんとして、叶わぬ若者達の姿だ。 そこへ現れた自らをキャプテンと称する教師は、彼等を解き放った。 若者達が自らの道を模索し始めた矢先に事件は起こる。 そして、教師は責任を負わされ、学校を去ることになるのだ。 別れ際、放校処分になるかもしれない危険を承知で、若者達は自らの意志を示 した。 あなたの教えたことは私達の胸に息づいています、と。 彼らのその表情を見て、私は拳を奮わせていた。 この激しい焦燥感はいったいなんだ!? 自分を襲っているこの感覚は、かつては感じられなかったものだ。 私は自分を映画の中の若者達に重ねていたのかもしれない。 自分の不甲斐なさを思って。 もっとも私は自由なのだ。 劇中の若者のように、親や学校に行動を束縛されているわけではない。 ただ、この今の生活を失うことを畏れているだけなのだ。 私は教師に呼びかける言葉を、声に出して呟いてみた。 O captain, my captain なにやら呪文のように思えた。 「captain」 それは行き先を決めてくれる人、自分を連れて行ってくれる人。 この歳になっても、私は依然としてそれを求めているのかもしれない。 私はなんども繰り返した。 O captain, my captain しかし、私は思い直してみた。 いま何をすべきなのか? どう生きたらいいのだろうか? 私が今つぶやくべき言葉は、「captain」ではないのかもしれない。 「Carpe diem!!」(いまを生きる!!) 私は叫ぶべきなのだ。 高ぶる心のままに。 |