このところ、少し時間に余裕があった。 このチャンスに映画でも観ておこうと思った。 映画といっても、レンタルDVDのことなのだが。 で、何本か観ていて「これはっ!?」と思うことがあった。 『ブルースオールマイティ』というジム・キャリー主演のコメディ映画を観ていたときのことである。 この作品の中では神様が登場するのだが、なんと神様役はモーガン・フリーマンだったのだ。 言うまでもなく彼は黒人である。 モーガン・フリーマンが神様役にうってつけだとしても、そこには何かがあるような気がした。 白人であるジム・キャリーが主役である以上、神様は黒人でなければならない、というバランス感覚があるんじゃないか。 神様に白人をあてると、「なんだい、神様まで白人のもんかい?」という気分になりそうだから。 神様はマイノリティが演じた方がよさそうだ。 白人と黒人のバランスについて考えたことは、今回が初めてではない。 その昔、『ポリスノーツ』というゲームがあって、設定が映画『リーサルウェポン』そっくりじゃないかという批判を浴びていた。 私は『ポリスノーツ』が大好きだったので、「破滅型の白人とマジメな黒人」という構成に何らかの必然性があるんだ、というロジックを構築できないかと考えていたのである。 主人公を破滅型の白人にした場合、相方はマジメなタイプをあてるより他にない。 相方が暴走したときに、抑える役が必要だから。 この場合、相方は白人より黒人がいい。 社会的に弱い側をマジメな役に割り当てる方がしっくり来る。 そういうバランス感覚ってあるんじゃないか。 だから、『ポリスノーツ』が『リーサルウェポン』に似ちゃっても仕方ないじゃん!という話なのだが・・。 ちょっと話は変わるけど、『バッドボーイズ2バッド』という映画を観ていて、黒人対ヒスパニック(スペイン語を話す中南米系)という新しい対立軸みたいなものもあるような気がした。 後から入ってきたヒスパニックから見ると、黒人は割とまともなアメリカ構成員にみえるんじゃないか。 黒人よりもヒスパニックの方が貧しそうな雰囲気である。(確かなことは知らないけど) そうすると、神様が黒人ではバランスがとれない、という感覚が生まれてくるかもしれないな。 ひょっとすると、神様役はインディアンにでもやってもらうより他にない、という時代が来るかもしれない。 アメリカ史においてもっとも劣悪な扱いを受けた先住民族が神様を演ずれば、誰もが安心できるんじゃないか。 |