私は食生活が非常に貧しい。 貧しい、というのは金銭的な意味ではなく、バリュエーションの問題である。 とにかく同じものばかり食べている。 面倒だから書かないけど、私が普段食べているものを書き上げていっても、おそらく12〜3種類しか出てこないのではないか。 一日の中で7〜8種類は食べるので、ほぼ二日に一度は同じものを食べているだろう。 中には毎日食べているものもある。 そんな私の食生活の中でもかなり重要なポジションを占めているのが冷凍餃子である。 それも味の素の冷凍餃子。 餃子ダレを作らなくてもおいしく頂けるので、独り者としては大変重宝している。 ところで、まことに不思議なことなのだが、スーパーというのは定期的に同じ食材の特売をやる。 あれが私は不思議でならない。 私のように毎日スーパーに行く人間は、慣れてくると特売でしか買わなくなるんじゃないか。 実際私は味の素の冷凍餃子を200円以上では滅多に買わないね。 通常は260円なのだが。 冷凍食品だから買いだめしておけばいいのである。 ところが、最近は買いだめする必要もなくなった。 毎日が特売日である。 おそらく例の中国製冷凍餃子の件で、売れ行きが悪いからだろう。 私にとっては大変ラッキーな事態となった。 あの農薬の話はちょっと考えさせられる。 何に考えさせられるって、我々の騒ぎ方にである。 最初に見つかったのは確かにやばいけど、そのあとに見つかったジクロルボスなんて騒ぐほどの事じゃないだろう。 買い置きしているインスタントラーメンの近くにゴキちゃんが出てきて、ちょっと袋に殺虫剤がかかることぐらいあるじゃん。 それでインスタントラーメン食べないかと言ったら、私は食べるね、平然と。 何事もなかったように。 今回のケースが故意犯なのか、製造上のミスなのか知らないけど、あんまり騒ぎ立てると結局損をするのは消費者なのである。 検査を厳しくしたり、材料を選別したりすれば当然コストアップする。 要するに安かろう悪かろうなんだから、消費者が自分で判断すればいい話なのである。 費用対効果の問題とか語るべき問題をまるで語らないな、日本のマスコミは。 行政も叩かれるからホントの事をよう言わんし。 いま私はお安く冷凍餃子を手に入れられるけど、こんな幸せはそう続かないだろう。 それどころか、そのうちまともな商品の値段はどんどん上がっていくにちがいない。 この幸せが享受できるのは今だけかもしれないな。 この一時の幸せを感じつつ、私は今日も冷凍餃子を食べるのである。 ごっつぁんです。 <追加 2008_02_15> 費用対効果の話を書きたくなった。 現実的な費用対効果の話をする場合、しばしば飛行機のメンテナンスが引き合いに出される。 飛行機が回避行動を取ることが出来ずに墜落すれば、まず間違いなく死人が出るけど、それでも費用対効果を考えないわけにはいかないからである。 よく聞く話なので、知っている人も多いだろう。 知っている人は読まないで欲しい。 飛行機の事故率を引き下げるためにどれだけメンテナンスに投資するか、を当然に経営者は考えなければならない。 何もメンテナンスしない場合の事故率が1%で、年間10億円メンテナンスにかけると事故率を0.1%に減らせると仮定しよう。 もちろんもっと事故率は減らしたい。 ところが、事故率が小さくなればなるほど費用対効果は小さくなっていくので、メンテナンスに投資できる額には自ずと限界があるのである。 1%を0.1%にするのには10億で済むけれども、0.1%を0.01%にする費用はもちろん10億では済まない。 小さい数字を更に小さくしようとすると、費用は非線形に増大していく。 例えば、0.01%にするのに100億円かかるとして、そこまでは出せるけど、0.001%にする費用1000億円は出せない、という事が現実にあるわけだ。 それは要するにチケット代からくる制限である。 お客さんに買って貰える値段を設定すると、そこから必然的に導かれる上限が出てくる。 つまり我々はリーズナブルな価格で飛行機に乗るかわりに、いま書いた例で言えば1万回に一回ぐらいは事故に遭う覚悟をしなければならない、ということである。 一万回に一回ぐらいは車輪が出ずに胴体着陸するかもしれないし、十万回に一回ぐらいは海に墜落するかもしれない。 もちろん経営者もそれを覚悟で航空会社を運営している。 おそらく自分が取締役やってる間は大きな事故が起きないでくれよ、と毎日祈っているだろう。 従業員の士気やマニュアルの問題もあるとはいえ、究極的には確率の問題だ。 人間がやることだから、ミスは必ず起きる。 だから、より安全を期すのであれば、旅客運賃を上げてもイイからやってくれ、というのが私の感覚からすれば当然である。 しかも、どれだけ高くなっても、やはり事故率が0になることはない。 これは冷凍餃子の話であれ何であれ同じ事なのだ。 でも、大抵そういうことは誰も言わない。 私はそれが気に入らないのである。 |