このところ凄くバランスが気になる。 全ての主張にはバランスが必要だ。 この話は美しくないので本当は書かないほうが良いのだが、ゲーム話の方に少し書いたら、書かずにはいられなくなってしまった。 プロ野球の話はゲーム話の方に書いたので、反戦の主張を例に挙げてみたい。 「戦争反対!」 そんなことは当たり前である。 誰だって戦争はイヤだ。 しかし、なぜ戦争が起こるのかというと、基本的にはそこに奪うべき富があるからである。 規模の大きな戦いというのは、農業の発達による余剰生産を奪い合うことで始まった。 つまり、「戦争反対!」ということは、同時に「富を奪うことは止めましょう」ということである。 これは今の世界でも変わらない。 私たちは富を奪うことで豊かに暮らしている。 私の感覚で言うと、「戦争反対!」というときは「いまの物質的に豊かな生き方を変えましょう」という主張とセットで行わなければならない。 ところが、実際にはこの2つの主張が同時に為されることは滅多にない。 イラク戦争の報道なんかを見てみるといい。 なんで同時にこの主張をしないのかというと、視聴者の耳に痛い話は放送したくないからだろう。 いまの豊かな生活を放棄しましょう、と言ったら支持されないから。 反戦の論調に世論を引っ張っていくためには余計なことを言ってはいけないのである。 私はそういうのはなんかイヤだ。 やたらと戦争反対!などと言ってる人を見ると、尊敬するよりはむしろ軽蔑したくなる。 何を得意げな顔しとるねん!と言う気分になるのである。 戦争反対!って気持ちいいと思うんだ、絶対に正しいことだから。 人間の命より大切なものなんかない。 だからこそ、耳の痛い話とセットで主張されなければならないんだ。 そうじゃないと、全部嘘になる。 こういうバランス感覚は当然あってしかるべしだと私は思っているのである。 もちろん、バランスを壊すことこそが美しいのだが、バランスを知らずに壊してはいけない。 まずバランスを知ることだ。 その上でバランスを壊すときは、それが自分の不利になるように振る舞わなければ、やはり美とはいえないはずである。 こんな話を書くこと自体が美しくないので、世の中がバランスのとれた主張で満ちあふれてくれたらいいのにな、と私は切に願っている。 <余談 2004_09_23> ギター侍が最後に切腹するのもバランスだな。 |