アシモフの三原則

アシモフの三原則 2000_12_23

 

もう20年ぐらい前になるだろうか。
「アシモフの三原則」という言葉を、石森章太郎の「ロボット刑事」の中で見た記憶がある。
私の記憶はうろ覚えなので、検索してひっかかった某HPの文章をそのまま借りてしまうと、こういうことになる。

(1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、行動を怠ることによって、人間に危害がおよぶのを許してはならない
(2)ロボットは人間の命令に服従しなければならない。ただし、その命令が第一条に反する場合は、このかぎりではない
(3)ロボットは、第一条または第二条に反しないかぎり、自己の身を守らなければならない

なんでも「ロボット工学の三原則」という言い方をするのだそうだ。
私は「ロボット刑事」を読んだ当時(ほんの子供だったが)、この三原則に特に疑問を抱いた覚えはない。
しかし、今になってみると、なにやら不自然な気がする。
(1)(2)は当たり前過ぎて、敢えて規定する必要があるのか?という疑問が沸くし、(3)を経済性と捉えるとなにやら面白くない。

どうしてこんな事を考えているのかというと、「アイザック・アシモフ」という名前をある映画の説明書(DVD)の中に見つけたからである。
その映画の名前は「BICENTENNIAL MAN」。
私の大好きなロビン・ウィリアムズが主演している映画だ。
私はアシモフという人物のことを、ロボット工学の学者かなんかだろうと思っていたのだが、実際にはアメリカを代表するSF作家だったのだそうだ。
映画「BICENTENNIAL MAN」の原作者でもある。
映画について一言だけ触れておくならば、あまりに泣かせ過ぎで、ちょっと反則気味。
鼻が詰まって呼吸が出来なかった。

私は「BICENTENNIAL MAN」を何回も見ているうちに、だから「アシモフの三原則」は必要なのか、と思った。
劇中に何回か「出来すぎたロボットは人間を不安にさせる」という意味合いの発言が出てくるのである。
アシモフという人は凄い人だ。
今でこそロボットは現実になりつつあるが、当時は姿形もなかったであろう。
その当時に、出来すぎたロボットがいたら人間はどう思うだろうか?という事をアシモフ氏は考えたに違いない。
その結果、人間を安心させるために(1)(2)を定義する必要があったのだ。
そうしないと人間とロボットは共存できない。
(3)はSF作家らしく、物語を創るための定義であろうと推測できる。(人間に壊されそうになったら、ロボットだって保身を考えるはずだし、そうでないと話が創れない)
私は世間で「アシモフの三原則」がどう評価されているのか全く知らないので、この発言には責任が持てないのだが。

偶然なのだが、つい先日、ソニー、ホンダ、と立て続けに自立二足歩行ロボットが発表された。
踊れるところまで来ているらしい。
この調子だと、私が生きているうちにロボットが街を歩くようになっているかもしれない・・。
でも、ちょっと恐い気もするんだ、これが。
人とロボットがどう関わっていくのかというイメージを持たないで開発してるんじゃないかって。
よくロボットの研究をしている人たちは手塚治虫に影響されている、という話は聞くけれど、アシモフの作品は読んでいるんだろうか?
読んどいてね、って感じかな。


戻る