階段を駆け上がりたい。 いつも思う。 決して「出世する」事の比喩ではないし、階段を人生に例えたのでもない。 ただ単に、目の前にある階段を駆け上がりたいのだ。 どうしてだろう? 私は考える。 ハートに弾力を持ち続けたい。 楽しいときは笑いたい。 悲しいときは泣きたい。 しかしながら、時間という奴は人間にいろいろな経験を踏ませ、傷つく度に心を堅くしていく。 そうしなければ、まともに生きてはいけないのだ。 私が「階段を駆け上がりたい」と思うのは、あるいはそれが子供の頃の記憶と結びつくからではないのか? まだ傷つくことも知らず、全ての情報をありのままに取り込んでいた、あの頃の自分を懐かしんでいるからではないのか? 確かに私は気づいている。 「階段を駆け上がりたい」という気持ちの中に、「階段を駆け上がらなければいけない」という思いが含まれていることを。 それでもいいじゃないか。 これからも駆け上がっていこうと思う。 体力の続く限り。 |