98_09_24

あさ目が醒めて '98_09_24

             

あさ目が醒めた時の自分は寝る前の自分と同じだろうか?と考えることがある。
かといって、もちろん寝起きに考えるわけではない。
あさ目が醒めて、「自分は寝る前の自分と同じであるか?」などと頻繁に考えるようでは、むしろ精神に何か問題があるというべきかもしれない。
だいたい、眠くて考えられやしないだろう。

そういった事は暇だとつい考えてしまうものだ。
思考を単純化するために、私は自分を瞬間移動マシンで転送するときの事を考える。
それは自分が不連続であるという点において、眠りと同じなのだ。

もし自分の体が、そのまま向こうへ移動することが出来たら、なるほど自分は自分のままであろう。
しかし例えば、自分の構成データを転送して、転送先で組み立てるとする。
転送先には自分とまったく同じ人間がいるわけだが、彼は果たして自分なのか?
彼はまったく自分と同じなのだから、他の人から見たら紛れもなく私自身に違いない。
では、ここにいる私は何なのだ?
ひょっとすると新たな自分が作り出された後、自分が消されることによって「転送」されているように見えているのかもしれない。

朝目が醒めて、それが眠る前の自分と同じであるかどうか、誰にもわかるはずはないのだ。
ある意味において、眠りとは死であるのかもしれない。
永遠の眠りとはよく言ったものである。


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