あさ目が醒めた時の自分は寝る前の自分と同じだろうか?と考えることがある。 かといって、もちろん寝起きに考えるわけではない。 あさ目が醒めて、「自分は寝る前の自分と同じであるか?」などと頻繁に考えるようでは、むしろ精神に何か問題があるというべきかもしれない。 だいたい、眠くて考えられやしないだろう。 そういった事は暇だとつい考えてしまうものだ。 思考を単純化するために、私は自分を瞬間移動マシンで転送するときの事を考える。 それは自分が不連続であるという点において、眠りと同じなのだ。 もし自分の体が、そのまま向こうへ移動することが出来たら、なるほど自分は自分のままであろう。 しかし例えば、自分の構成データを転送して、転送先で組み立てるとする。 転送先には自分とまったく同じ人間がいるわけだが、彼は果たして自分なのか? 彼はまったく自分と同じなのだから、他の人から見たら紛れもなく私自身に違いない。 では、ここにいる私は何なのだ? ひょっとすると新たな自分が作り出された後、自分が消されることによって「転送」されているように見えているのかもしれない。 朝目が醒めて、それが眠る前の自分と同じであるかどうか、誰にもわかるはずはないのだ。 ある意味において、眠りとは死であるのかもしれない。 永遠の眠りとはよく言ったものである。 |