50で18、私は常に主張してきた。 私が50歳の時に18歳の奥さんをもらうという意味である。 それはあくまで「50歳にもなればメチャメチャかっこいいので、若いお姉ちゃんがほっとかないでしょ!」という意味であって、私が極端なロリコンであるということを言っているのではない。 もちろん、それを否定するモノでもないのだが。 なにも私は昨日や今日、こう主張し始めたのではない。 「50で18」とは、もう随分と長いつきあいになる。 「50で18」を紐解くためには、私が18歳の時にまで遡らなければならないのだ。 ・・・・・ 大学に進んだ私はラグビー部に入ったが、練習に全くついてゆけなかった。 練習の3%ぐらい消化して、もうギブアップしていたのである。 私はグランドの端でしばしば練習を見つめる羽目になったのものだ。 そんなある日のこと、いつものようにグランド脇にたたずんでいた私は、怪我で練習できず見学していた先輩に聞かれたのである。 「お前、彼女いるの?」って。 これは困った。 当然彼女はいないわけだが、「彼女いないっスよ」とか答えると、「お前、自分の方からアタックしないとダメだよ」とか言われるに決まっている。 そんな分かり切ったことは言われたくないのである。 そこで私は咄嗟に「いや、僕は50で18ですから」と答えた。 ぐうの音も出ないような強烈な答えが必要だったのだ。 これが始まりである。 これはどういう事かというと、「とてもじゃないけど自分には彼女なんぞ当分できそうもない」と私が思っていた、ということである。 コンプレックスもあったし、自分に自信も持てなかった。 「彼女が欲しいのに出来ない」ということになるとショックが大きいので、自分は欲していないんだ、ということにしておきたかったのである。 防衛機制と言っても良いだろう。 そもそも「50で18」というのは、こんな情けない動機から生まれたものである。 ただ非常にウケが良いので、私はしばしばこれを使ってきた。 しかし、近頃私はこう思うようにしている。 私は自分に32年の猶予を与えたのだ、と。 たとえ今の自分がイケてなくても、私が日々成長していく以上、50にもなれば当然モテモテのウハウハになるに違いない。 いうなれば、人生はときめきメモリアルなのだ。 私は生きてゆく限り、パラメーターを上げていく。(下がらない、という前提である) 勉強もするし、トレーニングも積むし、おまけに世界一のゲーマーまで目指すのである。 外観は、内から滲み出るオーラでカバーしていきたい。 そうすると、いつの日か伝説の樹の下で告白される日がやってくるという寸法である。 まさにこれは32年の時をかけた「ときめきメモリアル」。 私は是非これを成し遂げてみたいと思っているのである。 もっとも、「50で18」構想に賛意を表明してくれる人には会ったことがない。 友人が結婚するたびに、「娘さんをください!」と言って回っているのだが・・・。 <これはいったい何?という方へ> 『ときめきメモリアルタイピング』コンプリート記念に何か書こうと思っていたら、いつの間にかこんな話になってしまい、やむなく「コラム」の方へ移動。 |