最近、どうにも避けては通れないと感じているものがある。 それは2ちゃんねる。 どうやっても、あそこに辿り着いてしまうのだ。 引っ越し先の情報を探そうと検索をかけると、商店街が制作しているという地域紹介ページが見つかった。 しかし、この手のページは体の良いことしか書いてないので、もうちょっと他にないの?って探すと2ちゃんしか出てこない。 ゲームの検索をかけても、2ちゃんしか出てこないときがある。 特にマイナーなゲームになると、まともな攻略ページなんかありゃしない。 2ちゃんは避けられないのである。 私は基本的に2ちゃんのような「名無しさん」の世界は嫌いである。 固定名を使っている人もいるようだが、その名前が「=自分自身」になるまで使い続けなければまるで意味がない。 何を書いたって自分には積み重ならないはずなんだから。 そんなもん時間の無駄だろうと思っている。 しかし、読んでいるとちょっと面白いことに気がつく。 あそこには友情があるな。 不思議な友情。 それを生み出すのはおそらく2つのファクターだろう。 第一に「言葉による囲い込み」。 日本人は言葉を略すのが大好きな民族らしいが、略してはいけないケースもある。 言葉の冗長性を超えて略すと、言葉が一意に定まらないからである。 ところが、それでも私たちは略してしまっていることが多い。 例えば、例えとして相応しいのか自信はないが、「ときメモラー」という言葉を挙げてみようか。 これは「ときめきメモリアルというゲームのプレイヤー」をさす言葉である。 「ときめきメモリアル」から「めき」と「リアル」を抜いて、「〜する人」を表す「er」を足した言葉であることは想像に難くない。 これは別に問題ないだろう。 「ときメモラー」には他の意味がないから。 ところが、「ときメモラー」は自分のことを「メモラー」と呼びたがるらしい。 「とき」まで取ってしまう。 すると、これはいけない。 「メモラー」では、メモを頻繁に取る人、とか、思い出に浸っている人、とか他の解釈が出てきてしまうからである。 にもかかわらずなんで略したいのかというと、これは「メモラー」と言ったときに「=ときメモラー」だと認識する人を囲い込みたいからだろうと私は考えている。 自分と同じベースを持った集合の中で暮らした方が気持ちいいからだ。 こういう行為は私たちの日常にもしばしばみられる事である。 友達の間だけで通じる略語を使ったりするでしょ? 2ちゃんではこれを更に進めて、ワザと誤字や創作語を使うことによって強烈な囲い込みをかけているように見える。 当然そこには仲間意識が生まれるだろう。 そして「囲い込み」の次に来るのが「傷つけ合い」。 友達ってのは傷つけあえるぐらいが気持ちいいのだ。 ハゲてる友達に「なに抜かしとんねん、このハゲ!!」って言える方が気持ちいいでしょ? 「ここの塗料、ハゲてる・・・(あっ、ハゲって言っちゃった!)」なんて具合に気をつかってると楽しくない。 これはもちろん遠慮なく言える人間関係があればこそである。 ところが、2ちゃんでは名無しさんであるが故に「傷つけ合い」が起こるんだ。 名無しさんだから遠慮なく攻撃できるし、攻撃される。 そうすると、結果として傷つけ合っているから、その前提となる人間関係があるように思えてくるんじゃないか。 擬似親友関係とでも言ったらいいのだろうか。 少なくとも私にはそう見える。 読んでいると、ホントに不思議だなと思うよ。 名無しさんどうしの友情。 たぶん当人達は気持ちいいんだろうな。 私はいつ如何なる時も「HIV」だから、ちょっと名無しさんの友情の輪に加わることは出来ないけどね。 <後日談 2005_09_15> 「のまねこ」がいま話題なんだそうである。 「モナー」という2ちゃんから生まれたキャラを改変したものだそうだ。 売り出しているavexによると、モナーにインスパイアされた、んだそうだが。 で、この「のまねこ」の著作権をZENとかいう著作権管理会社(=avexだと疑う向きが多いらしい)が主張している事に対して、ネットで大ブーイングが起きているんだそうだ。 何分ちょいと検索をかけただけなので、「そうだ」が連続で続いたのをお許し願いたい。 私の見たところ、著作権を主張すること自体は別におかしくない。 たとえ2次著作物(簡単に言うと、他の著作物を利用した著作物)であったとしても、著作権はその創作と同時に発生するのだ。 独自に創作されたのであれば、それ以前に似ているモナーの別バージョンが存在していたとしても関係ない。 一次著作物の権利が誰に帰属するのか分かり得ない場合、二次著作自体は制限されないだろう。 二次著作物にかかる著作権を行使する際には、「権利の濫用」に該当するかどうかでその主張の正当性が判断されると思う。 それより、私が「のまねこ」関連記事を読んでいて面白いと思ったのは、ネットワーク上の見知らぬ書き手達に仲間意識があることである。 多くの書き手に「けしからん!」っていう感覚の共有がある。 多かれ少なかれ、2ちゃんにみんな関わっているんだな。 avexの内部の人まで会社のやり方に異論を唱えていて、なかなか立派だと思ったけど、きっとこの人も2ちゃんねらーなんじゃないかな、なんて思いながら読んでいた。 保身よりも仲間意識が優先した、なんて考えたら失礼だろうか。 実は私も読んでいて、avexけしからんな、と思い始めていた。 それに気がついて、ちょっと可笑しくなった。 私にまで仲間意識が生まれているじゃないか。 <後日談 2005_09_30> 「のまねこ」の件はやっぱりavexが折れることになったそうである。 私はそんなにavexが悪いとは思っていなかったけどな。 だって、「のまねこ」としてプロモートすれば、「モナー」とは別の価値が創造されるからね。 投入した資金を回収するための措置をとることは当たり前だと思うよ。 今回の件はある種、集団ヒステリーの匂いすらある。 2ちゃんの団結は恐ろしい。 あそこはアンタッチャブルになりつつあるな。 |