横須賀城

■横須賀城散策

東海地方の静岡県。ここには歴史に名前を刻んだ,数々の名城が存在している。駿府城や興国寺城,二俣城,高天神城,掛川城などである。

今回は高天神城を監視するために,徳川家康が築城したと伝えられている横須賀城を訪れてみた。

掛川城で名をしられている掛川市。東名高速の掛川ICより,車を走らせること30分弱。途中,高天神城の脇をすり抜けながら,ナビの力でもって到着。

外観からはこんもりと土が盛られた丘。これが城跡の第一印象。散策してみてまず思ったことは,城全体の石垣が綺麗に整った形でもって存在していること。

駐車場らしきところへ車を駐車。 横須賀城

西の丸および本丸付近が,こんもりと盛られた丘となっていることが,現地にある案内版でもって確認ができる。

また本丸をめざして登っていくと,思ったよりも広く,平らに均された丘となっている西の丸。さらに奥が本丸となり,天守台となっている。

全体的に丸くそれほど大きくない石が,積み上げられた姿には発掘の調査などで積み直したのはないかと思うほど。

しかしこれは昔から積み上げられている石垣だったとか。このあたりの歴史は調べていないので,いつからかは不明である。ちなみにこれらは「玉石積み」と呼ばれ,河原の石が用いられているそうだ。

敷地内にはこの城の模型も,雨ざらしであるが展示してあり,城の全貌を立体的に確認することが可能である。

廃城となるまで城の周囲は水堀で囲まれ,街道をはなみ南側はすぐ遠州灘となっていたとか。

また築城された天正六(1578)年の戦国時代から,廃城となる明治二(1869)年まで城主二十代と,三百年ちかく続いていたそうです。

 
■横須賀小史

別名を松尾城と呼ばれている。徳川家康が天正六(1578)年に,武田方の城である高天神城攻略のためとして,大須賀康高に築城させたのがこの城の始まりである。大須賀康高は築城後に城主として,この城にあり武田方との交戦に関わる。天正九(1581)年に高天神城が落城させた後も,横須賀城は遠江支配の拠点として江戸時代まで存続した。
 
■情報

所在地 :静岡県掛川市
築城年 :天文六(1578)年
関連武将:徳川家康,大須賀康高