横地城

■横地城散策
「御前崎遠州灘 県立自然公園」内に遺る「横地城跡」。 ここは遠い昔、「吾妻鏡」にもその名が記されるほど、歴史深い城であるという。城跡やその城下の遺跡まで含めて「横地氏城館遺跡群」として国指定史跡となっている。

県道沿いを走っていると「横地城」を案内する板を目にすることが出来る。そのまま道をそれて細い道を進むと、静かな人工池が目の前に現れ、駐車スペースがきちんと用意されている。

入り口と思われる辺りには「古城を訪ねて」と題して、城を巡る者への心構えといおうか、城を愛する者の気持ちが記されている。訪れた際には、是が非にも読んで欲しいものである。

さて城巡りだ。
古城を訪ねて 金玉落としの谷
古城を訪ねて 金玉落としの谷

立派な「横地城跡」と記された道しるべを目印として、脇の舗装された坂道を登ってゆく。ここが城跡の遺構であるのか、後生の人々によって作られた道であるのかは定かではない。鬱蒼と生い茂る木々の中、一本道を曲がり登ってゆくと、「金玉落としの谷」に出る。

この名称の由来であるが、以下の様なものだという。 城兵の訓練時、この崖上より「金の玉」を落としたそうだ。その「金の玉」を巡って一斉に兵達は崖を駆け下り、その玉を拾い取る。そして今後は逆に崖を駆け上ったという。

今でもここから見下ろす崖下は、かなりの勾配であり深さを感じてしまう。伝承であるとはいうものの、当時もかなりの勇気が必要な訓練であったのではないだろうか。

その先には横地城きっての平地とでもいうべき「千畳敷」が出現。今では散策コースの休憩箇所とでもいおうか。四阿が用意されて、また空を遮る木々が無く、冬の日差しが暖かく感じる空間である。


千畳敷 中城
千畳敷 中城

「千畳敷」の西側は逆に、隆起した小山となっており、現在では「横地神社」が鎮座している。こちらは「西の城」と呼ばれている。本城の西側の主郭に相当する。ここより「千畳敷」に繋がる東側以外の周囲は、崖となっており、寄せ手からは攻めにくい構造で、最後の砦として守りやすい郭でだ。

「千畳敷」より北へ歩むと横地城の本丸とでも言える「中城」へと辿り着く。こちらも盛り土で出来た小さな丘を連想させる郭だ。こちらは先ほどの「西の城」、これから向かう先にある「東の城」を結ぶ要衝となっており、本城の中でも重要ある想像できる。

そして「東の城」。小高い地にできた曲輪。本曲輪の様だ。石碑が迎えてくれた。なお周囲には大小様々な曲輪が点在している。北側には「井戸曲輪」が備えられ、また少し歩くと「堀切」を見学することができる。
東の城 堀切
東の城 堀切

この辺りまでくるとあまり案内版も不十分であり、また知識が無いとどこがどうなのか良く分からない。また勝手に歩きまわって遺構を破壊するのも恐れ多いので、そのまま退散してしまった。

勉強不足のまま、訪ねてしまったことは否めない。今度はきちんと調査してから来城したいものです。



 
■横地城小史

十五世紀中頃に横地氏により築かれたと言われている。文明七(1475)年、隣国の駿河守護である今川義忠と、遠江守護の斯波義廉が対立する。横地氏は同族である勝間田氏と共に斯波氏に従い、今川氏に対して兵を挙げた。しかし翌八(1476)年、今川氏の軍勢による攻撃をうけ、横地城は落城してしまう。
 
■情報

築城年:15世紀中頃
別名:金寿城
所在地:静岡県菊川市東横地



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