与板城
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■与板城小史
本与板城を居城としてた直江氏であったが、いつの時代に現在の与板城を築城し、また居城を移したのかは定かではない。一般的には直江景綱の時代であったと推測されている。
。天正六年に上杉謙信が急逝して起こった御館の乱。謙信の養子であった上杉景勝と上杉景虎が、上杉家を二分して争った内乱である。この時、与板城主であったのは直江信綱。信綱は上杉景勝に味方したため、上杉景虎方に付いた栃尾城の本庄秀綱が与板城を襲撃され窮地に陥った。これを救ったのが同じく景勝方となっていた斎藤朝信。斎藤氏の救援を受けた直江氏は本庄氏を撃退し城を守った。天正九年、直江信綱が春日山城内で殺害されるという事件が起きた。景勝は直江家に側近であった樋口兼続を入れ、与板城主に据えた。これ以後、与板城は兼続による統治されたが、慶長三年の会津への移封したことで廃城となった。
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■情報
築城年:不明
所在地:新潟県長岡市与板町
関連武将:直江景綱、直江信綱、直江兼続
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