上田原古戦場
甲斐の武田信玄が信濃侵略の足掛かりとして、佐久地方を蹂躙していた時、真っ向からた戦いをいどんでいたのが村上義清であった。
そして村上義清が武田信玄との間でもって決戦が行われたのが上田原です。
この戦でもって武田信玄は傅役であった板垣信方、そして板垣と共に幼少の頃より支えてくれた甘利虎泰の両宿老を失っていた。対する村上義清も雨宮刑部や屋代源吾などの将を討ち死にさせるほどの壮絶な戦いが行われていたのである。
さて上田原古戦場。長野県上田市の中心部から千曲川を渡ってしばらく車を走らせると「上田原古戦場公園」が見えてきます。現在その名は公園として残っております。野球場などが建築されており、今からおよそ460年前に、血みどろの戦いが行われたという形跡はもちろんですが残っておりません。
公園内の駐車場へ車を停めておくことが出来ます。この日は平日の午後だという事もあり、ガラガラ状態。ポツリポツリと車が目に付く程度です。営業さんが休憩していたのでしょうか。
古戦場公園には村上方の雨宮刑部のお墓が立派なかたちであります。ただちょっとその場所がわかりにくかったです。勝手(?)に墓地の中を通り抜け、崖の上にある雨宮刑部のお墓に到着といった感じです。ちょっとした高台の所にあり遠く砥石城を眺めている様でもあります。
また同様に板垣信方のお墓にも少し迷いました。だいたいの場所を見当付けて行ったつもりではあったのですけど。実際には畑に囲まれ、人家にそれは隣接されてました。
畑の中に存在していた赤い鳥居。その脇には申し訳なさそうにある「板垣神社」とかかれた立て札。鳥居をくぐりその先に進むと祠の様なモノが目に入ってきました。おそらくこれがお墓になるのでしょう。お参りをだけして、その場を離れました。
ある程度は知名度がある合戦場なのだから、もう少し案内版など整備が進んでいると思ったのですが、そうでは無いようでした。真田本城や上田城などに立ち寄った際に、足を延ばしてみるのも良いかも。
所在地
長野県上田市
アクセス
車:上信越自動車道・上田/菅平ICより20分
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