躑躅ヶ崎館

■躑躅ヶ崎館散策


山梨県の県庁所在地である甲府市。玄関口とも言えるJR甲府駅より北へ、緩やかな坂を登ると現在は武田神社という躑躅ヶ先館跡がある。

鉄道を用いなくとも、東京圏からであれば中央自動車を使えば1時間ほどで到着し、また国道20号線を用いてのんびりとドライブながら向かうこともできる。

ここ武田神社はその名の通り、現在では神社となっており、「躑躅ヶア」という名の「館」は存在しない。ちなみに武田神社がこの地に創建されたのが大正四年になってからである。

躑躅ヶア館へは、過去にも幾度か訪れていたが、2013年には久しぶりとなる4〜5年ぶりの散策となった。

この躑躅ヶ崎館は武田信虎が永正一六(1519)年に築城されたといわれている。城下には有力な家臣団の館が構えられる。また息子である信玄の時代には、甲斐以外にも領国が拡張され続けたが、本拠地を移転することは無かった。

甲府駅から真っ直ぐ向かってくると、周りを掘りで囲まれた館跡へたどり着く。堀に架かる橋を渡り境内へ向かうこととなるが、武田氏統治時代はここに出入り口は無かったという。現在は表門として人々が行き来し、鎧を着用しての記念写真も撮ることができるなど、観光名所となっているが、これは現在のすがたであろう。

こちらは躑躅ヶア館の大手門、つまり正面ではないという。本来の大手門は東側に存在している石組みの土橋である。ちなみに車での参拝はこちらの大手門より入庫することとなっている。

また何年前か覚えていないが、この大手門前は観光客向けの駐車場となっていたと記憶している。しかし現在では発掘調査を終え、史跡公園として整備された姿に少々驚いた。

「大手門周辺ゾーン」という名でもって史跡公園となっている。案内版には「武田氏館大手跡」と記載されていた。また発掘調査の結果として、武田氏統治時代には「三日月堀」が存在していたという。しかし天正十(1582)年以降、堀は破壊され新たに「大手石塁」が築かれたそうだ。

大手門周辺ゾーン@ 大手門周辺ゾーンA
大手門周辺ゾーン@ 大手門周辺ゾーンA


ちなみにこちらの整備状況は先ほどの「大手石塁」の他にも、「惣堀・土塁」、「土橋・虎口石階段」そして「厩跡」などである。それぞれに写真つきで解説が施されているので興味がある人は、是非にも現地へ足を運んで観て下さい。

深い緑に囲まれた曲輪内は現在は、武田神社の拝殿を中心として、本殿や社務所が建てられている。東側が東曲輪であり、西側が中曲輪となっている。

その「大手門」より館へ入るとそこは東曲輪の地であり、現在は「武田宝物殿」が建っている。入館料は¥300ほど。ずいぶん前に入館して、展示物を観覧した記憶がある。武田氏に関わる物品が展示したあったと記憶しているが、現在も同じものであるかどうかは不明である。

「中曲輪」には社務所があり、「水琴窟」や「名水姫の井戸」が訪れる者を癒すスポットとなっている。井戸の水を持ち帰るためのペットボトルも授与所で販売されているが、持参しても問題はないだろう。また以前には無かったと思われる「能舞台」が新設されていた。

この「中曲輪」にある「三葉の松」という伝説の松がある。これは信玄の遺徳を慕い、遙か彼方の高野山より飛来落種したと伝えられている。

「中曲輪」から「土橋」を渡り西側へ向かうと「西曲輪」となる。かつては「藤村記念館」があったと記憶していたが、2013年春に訪れると、跡形もなく消え去っていた。重要文化財として登録されていたと思ったのだが。

西曲輪北側枡形虎口 土橋
西曲輪北側枡形虎口 土橋


「西曲輪」の北側は「味噌曲輪」と呼ばれている。かつては館の水源であったとか、信玄の実弟である信廉の屋敷があったという伝承が残っている。今は「西曲輪」から「味噌曲輪」へは、「土塁」と共に「虎口」が復元され、「土橋」を通り抜けることで行き来が出来る様になっていた。案内には「武田氏館跡西曲輪北側枡形虎口」と記されていた。

北側へ出ると視界が開け、要害山城を望むことができる。あそこまで歩いて登りに行く日がいつか来るかもしれないと思いながら、東側の「隠居曲輪」方面へ「お館様の散歩道」を歩んで行った。

久しぶりに訪れてみると、こうも変わるモノかと少々驚いてしまった。次に来るときには何が出来ているか。楽しみである。



 
■躑躅ヶ崎館小史

永正一六(1519)年、武田信虎により、現在の位置に館を築いた。当時は土塁と空堀をめぐらした方形の曲輪が存在していただけであった。信虎の子信玄の時代に西曲輪や北曲輪が拡張、整備された。また水堀を引いたのも信玄の時代と言われている。躑躅ヶア館は住居を主としており、籠城の際には北の要害城へ籠もることとなる。天正一〇(1582)年、武田勝頼の時代に織田軍に蹂躙され焼失。後に徳川家康により一時期は整備が施されるが、甲府城が築城されると躑躅ヶア館は廃城となった。
 
■情報

築城年 :永正一六(1519)年
所在地 :山梨県甲府市
関連武将:武田信玄、武田信虎、武田勝頼
アクセス
鉄道:JR甲府駅からバス10分
車 :中央自動車道甲府昭和・韮崎ICより30分



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