津久井城

■津久井城散策

平成の大合併で相模原市に組み入れられた津久井城。地元の人には城山と親しまれ,小学生の遠足の地としても利用されている。

そんな津久井城へ小学校時代の遠足以来に,足を踏み入れてみた。

現在は県立津久井湖城山公園となっており,また「水の苑地」「花の苑地」「根小屋地区」と3つの地区に分け整備がされている。

今回は根小屋地区に車を駐め,山頂にある本城曲輪を目指すこととした。
  戦国当時は当然ダム湖は無く,北は相模川が険峻な谷となり,東は串川によって天然の堀として機能していた。そして根小屋地区あたりに,城主や家臣等の屋敷が備えられており,ここからのルートが城の中枢へ登る正式なルートであったと思われる。

史跡であったために,宅地化もされずに緑が残った城山。現代ではこのあたりはバリアフリー化もされており,老若男女とわず気軽にあたりを散策できる様になっている。

入口にはパークセンターという案内所が設けられ,津久井城に関する資料や園内を彩る草花などが紹介されていた。登る前に立ち寄り情報を仕入れるのをお勧めする。
  根小屋地区には発掘調査により発見された「御屋敷跡」がある。食器などと供に遺構がみつかっているそうだが,いまは保存のためということで,土がかぶせられてしまい芝の下に隠されてしまった。残念である。また馬場の跡と見られている馬場広場などが確認できる。

雲行きも妖しくなってきたので,山頂を目指したのであるが,ルートとしては険しいルート(車坂)と楽々コースがあるが

おもったよりも山頂付近につくまでに苦労してしまったが,難なく到着したあたりが飯縄曲輪と太鼓曲輪の中間地点。まずは東側の「飯縄曲輪」へと足を進めた。
  「飯縄曲輪」には現在,飯縄神社がある。また大杉と呼ばれている大木がそびえ立っている。ちなみにこの大杉の周囲の長さは大人3〜4人ほどが手を広げた大きさだとか。

また宝ヶ池という山城にはかかせない水場が存在している。さらにこの曲輪に先には「鷹射場」と呼ばれる場所がある。ここからは相模川の断崖上に聳える相模原台地が望める。もうちょっと天気が良ければ,見晴らしも良く,一息入れることができるところだ。「飯縄曲輪」と「鷹射場」の間には堅堀と呼ばれる堀切が確認できる。木々に覆われてしまっているが,その面影は散策していて気がつくでしょう。

細長く造成されている「太鼓曲輪」にもどり,本曲輪を今度は目指した。ちなみに太鼓曲輪の真下南側に,家老屋敷があったと思われる曲輪が存在するとか。もうちょっと木々が生い茂っていなければ,足を踏み入れてもよいかもしれない。
  「本城曲輪」へ向かう途中には,やはりここにも堀切があり,説明書きには引橋がここには掛かっていたとか。山中城にある引橋の写真とともに解説がある。その説明を読み終え,急な登り道をあがると「本城曲輪」となる。

「本城曲輪」は発掘調査中であり,いたるところがビニールシートで覆われていた。その下には何が隠され,そして発見されたのか。シートをめくって見てみたい衝動に駆られるが,とりあえず写真だけ撮っておき,結果が公表されるのを待つことに。

半周ほど土塁で囲まれた格好になっている「本城曲輪」。「筑井古城記の碑」という古城という雰囲気を持った石碑とともに,案内板が掲げられている。土塁の上を歩きまわり「土の城」であることを実感。また案内版によれば,この「本城曲輪」を中心にして,いくつもの小さな曲輪が形成されていた様だ。実際に一段低い位置に曲輪らしきモノが確認できる。
  思い切ってこれらの曲輪も見学に行こうとしたが,いつまた雨に降られるか分からず,すぐ下の曲輪をちょっと見学して「本城曲輪」をあとにした。自然を残しながらこうした曲輪も発掘して,山頂まで登ってきた人々の目を楽しませてくれる日がくるのだろうか。

下山はハイキングコースを通り,登ってきた根小屋地区へ戻ることに。途中で獣道の様になっていた古道と呼ばれてい古き道を散策。ちなみに山頂付近の古道を歩き回れば,小さな曲輪らしきところに出会える。今回は山頂までの登りおりで,およそ3時間ほどのハイキング。道すがらお城に興味がありそうな人も,そうでなくハイキングとして来ているらしき人に出くわすこともあった。

帰りの駐車場は訪れた朝とは一転して,ほぼ満車状態であったのだから,近郊住民が緑を求めてやってくる憩いのスポットであることが実感できた。

 
■津久井城小史

鎌倉時代に三浦氏の一族であった筑井氏が築城したと言われている。戦国時代になると小田原の北条氏が相模,そして武蔵までその版図に加える,津久井城はその地理的関係から,甲斐武田氏を抑える拠点として重要な役割を担う。津久井周辺の豪族,内藤氏を中心として北条氏の要請により守備する城であった。天正一八(1590)年,豊臣秀吉による小田原攻めの際,城主内藤景豊は津久井城には無かった。津久井城は徳川勢の本多忠勝や平岩親吉らに囲まれ開城したと言われている。江戸時代に入ると津久井城は,徳川氏の直轄地となり城の麓である根小屋にに陣屋が置かれた。
 
■情報

所在地 :神奈川県相模原市
築城年 :????年
関連武将:内藤景豊