土浦城

■土浦城散策


関東在住であるが、あまり訪れることが少ない茨城県。小旅行のついてに立ち寄った土浦城。こちらは茨城県の指定史跡第1号となったという。さてどんな地であるのか気になるところである。

現在は亀城公園として「本丸」、「二の丸」が整備されて近隣住民の憩いの地になっている土浦城。ちなみに「亀城」の「亀」は、堀に囲まれた城の形が亀に似ているから、名付けられたそうだ。またこの地は度々洪水に見舞われることが多く、雨期になると城がまるで亀の瀬に見えたことから、名付けられたとも言われている。

こちらには隣接して「土浦市立博物館」がある。今回はこちらの駐車を利用させていただいた。ついてに館内も観覧したが、「東櫓」との共通券だという。というか両方で博物館ということらしい。

さてまずは「西櫓」を見学。こちらは平成三年に復元されたという。じつは昭和二四年にキティ台風の影響を受け、一時的に買いたいされ土塁上に礎石のみの姿であったとか。それがおよそ半世紀を経て、今目にしている姿に変じたというわけだ。ちなみに二層二階の構造だ。

櫓門 本丸跡
櫓門 本丸跡


次は「本丸土塀」。本丸にある「土塁」の上に建てられた「塀」だ。こちらも復元されたものであるが、当時の記録や発掘調査した結果を基にして仕上がっているという。

そして「櫓門」。こちらは明暦二(1655)年に改築されたと伝わっている。つまり350年も前ということだ。本丸にある櫓門としては、関東で唯一というからかなり貴重な門である。ちなみにこちら、階上では時を知らす太鼓を打っていたということで、太鼓櫓という呼ばれていたという。ちなみに昭和61年に解体し修理が施された模様。

最期はメインともいえる「東櫓」へ足を踏み入れた。土塁上にある「東櫓」、こちら明治の時代に火災により焼失してしまったそうだ。現在のものは平成一〇年に復元された櫓。たしかに真新しい感じがする内部。こちらを復元するにあたり、材料となる木材は国産にこだわったという話を耳にした。総工費に二億弱かかったというから、これに掛けた土浦市は立派だ。

先に述べた様に「本丸」「二の丸」は公園として解放されている。かつては城の中枢でもあったが今ではその面影を見ることはできない。想像するのが精一杯である。

なお公園にあるベンチには亀の像が付随して、ちょっとした遊び心で笑みがこぼれてくる土浦城であった。



 
■土浦城小史

永享年間に若泉三郎により築かれた。永正一三(1516)年に小田氏に属する藤沢城主の菅谷勝貞が、謀略をもって攻め落として入城した。その後は菅谷氏が三代に渡り主となる。しかし佐竹氏が勢力を拡大にするにつれて、小田城を追われる様にして小田守治が城に入る。小田城の奪還を試みる小田氏であったが、力及ばず小田守治は天正一三年(1583)に佐竹氏に降伏。天正一八(1582)年、小田守治は小田原北条氏と結んでにかわり、関東の地に入封した徳川家康により、土浦城は家康の次男である結城秀康に与えられる。。慶長六年(1601)年に結城秀康が越前へ転封となると、松平信一が城主となる。この頃、ほぼ現在の城郭に築城されたと言われている。
 
■情報

築城年:永享年間
別 名:亀城
所在地:茨城県土浦市中央
関連武将:松平信一




>> 「ひろぞう戦国物語」トップへ移動 >> 「史跡巡り」のトップへ移動

Copyright © 2012 ひろぞう All Rights Reserved.