滝山城

■滝山城散策

国道16号などがその脇を通り抜け,北を多摩川に,南は滝川街道に囲まれている八王子郊外。その地には今なお戦国時代の山城としてその姿を留めていた。

今回訪れたのが滝山城。近くて遠いお城。津久井城址,片倉城址,そして滝山城址。ついに比較的,家から近くに存在しているお城巡りをすることができた。

通常であれば「滝山城址下」というバス停を使うのであろうが,移動手段が自転車であった関係もあり多摩川側の北北より歩き回った。

北側は急斜面になっており,自転車も歩行もきつい坂道。途中で自転車を止めとりあえず城の中心へと進むしか無かった。

当時のまま残っているのか,それとも後世になって道をつくったのか,切り通しの様な堀切なのか坂の道を登ると,道の右に長く続く石段があらわれた。この時はそのまま素通りしたのだが,これは本郭址に隣接している金比羅社へと続く階段である。

うっそうとする林の中を進むと,滝山城のシンボルともいえる木製で復元された「引橋」を頭上に眺めることが出来る。

それをカメラに収め,真下から眺めていたら,橋を渡りたい衝動にも駆られてきたので,急ぎ足でもって本郭へと向かった。

虎口を抜けて坂を登るとそこは「本郭址」。この本郭の周りは当時からのモノ思われる土塁で囲まれている。本郭より眼下を眺めると,その高さがよく分かる。また城の中枢となるのであれば,水が必要である。やはりここにも水は枯れているがきちんと井戸が残っている。また「史跡 滝山城址」と刻まれた石碑が,端にひっそりと建っていた。

そして本郭と中郭を結ぶ「引橋」へと向かった。そこへ本郭より向かうには虎口を通ことになる。その虎口。なんと発掘調査をしたところ,当時のモノと考えられる石畳が出現したとか。いまは土が被せられ新たに石が並べられているので,実際にこの目で確かめることはできないのが残念である。

この「引橋」を渡ると「中郭址」である。中郭は広々とした郭である。また案内板によると,この周りはほぼ水がはいった堀になっていたことになる。ちなみに引橋の下も水がはいっていたということになるのだが。

中郭を址にして本丸の道を通り,「三郭址」を目指した。途中で「二郭址」に立ち寄り。ここが城の中心であるのは城の図を見れば納得である。ここに城主がいたという説明もあることから,本郭よりもこちらが中枢となったと思う方が正しいのだろう。

ちなみにこの二郭は,本郭や三郭,各屋敷への道がつながった要所となっている。

「千畳敷址」はその名の通り,広場という言葉が当てはまりそうな場所である。天気が良ければここからあきる野市方面を眺めたり,お弁当を広げてピクニックも可能であろう。 ここから一旦,二郭にもどり信濃屋敷,刑部屋敷跡方面へと向かう。その途中には虎口跡や,堀など見事なカタチで当時のままと思われるカタチで残存している。また馬出郭やそことを繋ぐ土橋。うまい言葉が出てこないので,伝えにくいのだが現地に立ってみれば,その素晴らしを理解できることでしょう。

滝山城趾は,都立滝山自然公園に指定されており,昔から桜の名所として名高いそうです。また雑木林に大部分が覆われており,ハイキングコースとしても親しまれているとか。四季を通じて楽しめる城趾,滝山城でした。

 
■滝山小史

大永元(1521)年武蔵守護の大石定重が築城。定重の子,定久のときに北条氏康の旗下に,そして氏照を養子として向かえた。北からの脅威を防ぐ城として,改築を重ねた結果,越後の長尾景虎や,甲斐の武田信玄らの軍勢も攻められても落城することはなかった。その最たるは,永禄一二(1569)年の武田軍による城攻めである。二郭まで武田の軍勢が攻め寄せるが撃退。この攻防戦の後,氏照はさらに堅固な城を求め,八王子城へその役割を移築し,滝山城は廃城となった。
 
■情報

所在地 :東京都八王子市
築城年 :大永元(1521)年
関連武将:北条氏照