高田城
■高田城散策
新潟県上越市。
何回か近くを車で通りがかったことはあったが、いちども訪ねることがなかった高田城。
暑い夏の盛りに、高田城へ行くことが出来たので、こちらに載せることにした。
ただし、あまりの暑さ城跡を巡るほどの体力も無く、また子共も一緒だったので、三重櫓を中心とした散策で終始していたことをまずは記しておく。
新潟県は涼しいという固定観念は間違っていた。
猛暑である。
さて城巡りであるが、堀は水で満たされているが、涼しい風を運んでくれることはなかった。
また一部の堀には蓮で覆い尽くされおり、その景観にいきを飲んだ。
とりあえずシンボル的な三重櫓を目指した。
堀越しに観る三重櫓
土塁上の三重櫓
小高く盛られた土塁上に建つ三重の櫓。
復元されたものであるが、それほど豪奢な感じでは無く、また大きくもない。
ちいさな天守閣を目指して復元されたのだろうか。
資料によれば江戸城の富士見櫓を模したものだという。
それはともかく中に入ってみると、1階と2階が資料の展示室となっているが、内容については割愛。
そして3階部分は展望部となっており、公園内を見渡すことが出来る。
本丸跡
三重櫓からの眺め
三重櫓をあとにて、本丸跡へと向かい記念撮影。
そして極楽橋を渡って高田城をあとにした。
なんとも滞在時間の短かった城跡巡りだろうか。
こちらの高田城、現在は高田公園と変貌を遂げており、桜の名所として知られている。
さらに広大な城跡は、学校や各種スポーツのグランドへと様変わりしている。
そして高田城には謎が1つ。
六〇万石の大名の本城でありながら、石垣が無いという点がちょっと不思議である。
■高田城小史
慶長一五(1610)年、徳川家康の六男、松平忠輝が信州川中島より移封され福島城主となる。同一九(1614)年、福島城を廃城として高田城を築城。元和二(1616)年、松平忠輝が改易となり、上野高崎より酒井家次が転封してくる。以後、幾度か城主が入れ替わり明治を迎える。本丸御殿や三重櫓などは明治に入り焼失し、さらに明治六(1873)年には廃城となりすべての建造物などが廃却された。
■情報
築城年 :慶長一九(1614)年
所在地 :新潟県上越市
関連武将:松平忠輝
アクセス
車:上信越自動車道 上越高田IC
駐車城:有り
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