鈴岡城

■鈴岡城散策

鈴岡公園として新たに活用されている鈴岡城。高台にそびえる平山城である。

飯田市駄科の高所に築かれており,車で向かうには道を登っていかなければならない。すると,突然右側に現れる鈴岡公園の案内版。右に急旋回するようにして向かえば,そこは鈴岡城趾専用の駐車スペースが迎えてくれるので,そのまま利用することができる。

ここは大きく,本曲輪と二の曲輪,そして出丸,外曲輪にわかれており,それぞれを堀切で仕切られている。

まず最初に訪れたのが二の曲輪。この曲輪はちょうど整備されている途中である様で,植えられてまだ時間の経っていない芝の緑に覆われていた。一応,立ち入ることは芝の育成のために,禁止がされている様である。今後は自由に立ち入ることができる様になるのだろう。 二の曲輪 二の曲輪と本曲輪 その一

木などが植えてある訳ではなく,そしてベンチや遊具なども無い,特になにがある訳ではない広場となっている。陽気の良い日には寝転びたくなる気持ちにさせられる場所であった。

二の曲輪に西側,堀を挟んで存在しているのが,外曲輪ということだ。この外曲輪には南と北があるそうだが,今回この北側へは向かうことができなかった。

諸般の事情といか,行くことが頭からすっ飛んでいた。

二の曲輪と本曲輪 その一 二の曲輪 二の曲輪から,本曲輪の間を隔てている大きな堀があり,これは城址公園として立派な遺構である。それを間近に,さらに体験することが出来る貴重な堀が遺っている。ちなみに二の曲輪から本曲輪へ向かうには,東側の舗装され整備された通路か,もしくはこの堀を一旦下り,それから本曲輪への登道を選ぶことになる。

そして本曲輪に辿り着くことができた。土塁で囲まれた曲輪の一部には,近所で良く目にする公園の風景となっており,当日も子供達が遠足にきていた。小さいころから城跡に親しめる環境が羨ましいが,ここが城跡であったことを認識しているのかは定かではない。

出丸からの景色 鈴岡城の石碑 この本曲輪から北側は斜面となっており,歩いて降りていくと出丸がある。ここの出丸はいまではちょっとした展望台として用意されていた。ここから更に階段を用いて降ると,毛賀沢川に行き当たる。そこに架かる橋を渡ると見覚えのある地点に行き着いた。そこはなんと松尾城跡である。

歩けば10分ほどで行き来が可能であり,まさに指呼の間であった。車での移動には二〇分ほどかかったのだが,歩いてもそう時間は掛からず到着することができるのに驚きつつ,また来た道を戻ったのでありました。

 
■鈴岡城小史

鈴岡小笠原氏の居城。天文二三(1554)年,武田信玄の伊那地方への侵攻に際し,松尾小笠原氏とは逆に降伏せずに抗戦した。深志小笠原氏と連携して戦っていたが,鈴岡小笠原氏は敗れてしまい,以後の鈴岡城は松尾小笠原氏が支配する支城の一つとなる。天正一〇(1582)年以降は,織田氏そして徳川氏と主が代わりながら城は存続する。天正一八(1590)年,松尾小笠原信嶺が関東へ移封すると,鈴岡城は廃城となった。
 
■情報

所在地 :長野県飯田市
関連武将:小笠原信定