駿府城趾

■駿府城趾散策


静岡市の中心地に位置している現在の駿府公園。その昔、天正年間に徳川家康により築城され、現在は街中のオアシスといって良いほど広大な地を有する公園となっている。

城跡としての面影も遺している公園だ。

こちらへは車を利用したが、東名高速道路の静岡ICより、およそ15分くらいでたどり着く。道もそれほど迷わ無いが、駐車できるところを探すのに一苦労。結局は市民会館(だったかな?)の地下駐車場へ停めることが出来た(ただし有料である)。

さて、駿府公園こと駿府城跡である。水堀と石垣に囲まれており橋を渡り公園内へと向かうのだ。

ちなみに公園の周囲の車道は一方通行になっているので要注意。

(以下、2013年3月末修正および追記)

まずは北門橋を渡り、公園内こと本丸へと向かった。

まず石垣に囲まれた園内は当時の二の丸に相当する部分だという。ちなみに駐車場のあたりは三の丸であったそうだ。広い公園というのが第一印象。平日であったということもあってか人はまばらだ。

駿府城 二の丸の水堀
駿府城の石碑 二の丸の水堀


次に公園の中心部でもある本丸御殿跡を目指した。そこには「家康手植えのミカン」という名が付けられた蜜柑の木を目にすることができる。こちらは静岡県の天然記念物に指定されており、静岡県原産の蜜柑はこれが大元だとか。この蜜柑、収穫が行われた際には、静岡駅でプレゼントされるという。

そのすぐ側には鷹を手にした「徳川家康公銅像」が鎮座している。あたかも公園内に睨みを効かせ、悪いモノを退散させてくれるかの様に頼もしげである。また静岡駅北口には「徳川家康公像」と「竹千代君像」が設置されているそうなので、ちょっと足を伸ばしてみるのも良いでしょう。

東御門
家康像


この本丸御殿跡、それから南側の二の丸橋に向かった辺りには子供用遊具があり、子共連れでも気兼ねなく城めぐりが出来る駿府城だ。

また本丸を囲む様にして水堀が存在していたそうだが、その面影は現在でも伺うことが出来る。その遺構は大きな池の様に本丸の東南部に残っている。また本丸と二の丸の水堀を繋いだ水路を見ることが出来る。

さて、次にむかったのが東御門。ここは以前に訪れた際にもあったが、今では中を見学できる模様。ここ数年のことなのか、それとも前回は気がつかずに通り過ごしてしまったのか。とりあえず今回は中を見学させてもらった。

辰巳櫓 東御門
辰巳櫓 東御門


資料館。それにつきます。駿府城の成り立ちを江戸という時代を通じて紹介してあり、中には興味深い資料をめにすることができた。詳細は実際に足を運んでみて下さい。

ちなみに東御門。こちらは櫓門と多聞櫓で構成された建造物であり、辰巳櫓とは連結している。東御門は江戸の寛永年間当時の様子を復元したとパンフレットには記されている。この門が当城のシンボルといえるだろう。

石垣の上に建築された櫓門。その奥に見える近代的な高層ビル。このミスマッチな景色は、都会の中に突如現れた幻想の様に思えてしまった。



 
■駿府城趾小史

室町時代、幕府より駿河守護に任じられた今川氏の館が置かれたのがはじまり。今川統治時代、この駿府城辺りに今川館が存在し、今川家の政治、経済および文化の中心地としてその役割を果たていたと考えられる。しかしその在所については未確定である。武田信玄の侵攻後は、武田氏に併呑されていた。天正一三(1585)年、徳川家康が居城を浜松城より移動させ、現在の原型となる駿府城が築城される。この時に天守閣を含めて識豊時代を代表する城郭が形成されたと考えられるが、詳細については謎である。天正一八(1590)年、徳川家康が武蔵江戸へ移封した代わりに、中村一氏が入城する。関ヶ原合戦後、徳川家康の異母弟である内藤信成が入城。慶長一二(1607)年、将軍職を退いた徳川家康の隠居所として、再び駿府城は修築される。現在の遺構に近い、三重の堀をもった城郭が形成された。
 
■情報

築城年 :天正一七(1589)年
所在地 :静岡県静岡市葵区
関連武将:徳川家康



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