杉山城趾
■杉山城趾散策
杉山城へ
驚愕であった。噂通りにすばらしい城跡。この「すばらしい」の言葉が相応しい城跡である。こちらには車向かい、杉山城入り口付近にある積善寺の駐車場に停めせていただいた。
さて杉山城跡である。まずは噂通りである。冒頭でも書いたが、皆が言う「すばらしい」という言葉に理解ができる。さらに言葉として発してしまうのも納得だ。
まずは大手口から見学。ここには案内用のパンフレットが設置されているので1部を頂いてから見学を開始。
大手口からみた杉山城
城趾の説明板
大手口より本郭へ
大手口に足を踏み入れると、なだらかな斜面。その視線の先には土塁が聳えている。これは外郭の土塁である。攻め手からすれば城兵に狙われ恰好の餌食となってしまうことだろう。などと、どうでもいい妄想に駆られてしまう。
その外郭に向かい、さらに北西方向に足を向けて本郭を目指す。左手側には堀を挟んで南三ノ郭と南二ノ郭が連結し、いくつかのヒダ状になった切岸が見られる。ちなみにこれを「屏風折り」というらしい。初めて聞いたのだが、設置されている案内版に記されていた。これは城郭用語なのかどうかは不明である。
屏風折り
三ノ郭
本郭へ真っ先に行こうと思いながら進んでいたが、その前に城の東方面に位置する郭を見学することにした。今まで歩いてきた場所と比較すると、一段低い位置にある存在している東二ノ郭。ここへは帯郭であったところを歩んでゆく。
この先、東側に出張っている平地が東三ノ郭。東北側寄りに掘が与えられており、郭自体も土塁で囲まれている。この城の東方面から侵入してくる外敵を防ぐ為の防備を備えているのがわかる。
三ノ郭からみた本郭
本郭にある城趾の碑
本郭と北郭
さて本郭だ。東二ノ郭からみると、それは大きな丘がそびえている様に見える。特に先ほど訪れた東三ノ郭から見上げると、その雛壇の様になった最上部に位置する本曲輪より見下ろされている縄張りが理解できることであろう。
高所に位置する本郭から、この東にある郭は一望することができる。また外郭や大手口といった城の表玄関に対しても視界がひらけている。この本郭の東側にある東虎口は、方形に区画が整理されており、また内側には石積が発掘調査から判明しているそうだ。
本郭北側にはほどほどに高い土塁が残っており、これを背にして石碑と案内板が立てられている。ここの西側は深い堀になっており、抜ける道は北虎口のみが存在している。ここから城の北側にある郭へ向かうことができるのだ。
この城の北側にある郭。それは北二ノ郭、北三ノ郭そして搦手である。北二ノ郭へ向かうと今まで本郭まで辿ってきた景色とはまた違った印象を受ける。これは城跡の整備による違いなのか、それとも北側という独特な地勢的なものなのか。西側の堀は深く傾斜になっており、ここからはこの城が台地上に築かれたことがよく分かる場所でもある。
奥が北三ノ郭
井戸跡
さらに食い違い虎口を北へ抜けると、南北に細長い北三ノ郭にたどり着く。ここは本郭よりも一段低い位置にあり、この先の搦手口同様、城の末端と言われれば、攻城戦における最前線に放り投げられた気分である。
この北三ノ郭、および北二ノ郭の西側には、竪堀も確認でき、ここの見所ではないだろうか。
北の郭を見学後、本郭の高い壁を左手に見ながら、帯郭を南にある井戸郭方面へ向かう。この西側にも竪堀を確認することができる。ちなみに井戸郭の西側、本郭はからは見下ろす位置に井戸跡が残っている。
さて、南郭へ
井戸郭から南二ノ郭へ。ここは南側を土塁で覆われ、北側は本郭および井戸郭との間に空掘りを設けている。さらに南側には南三ノ郭が広めの地を確保している。
三ノ郭
馬出郭
この南二ノ郭から直接、本郭へ向かうには深めの堀を越え、さらには本郭を囲む土塁をよじ登る必要がある。東側に虎口が用意されている。また三ノ郭へは食い違い虎口を経て向かう向かう。
南三ノ郭は東から南にかけて堀で囲まれていた。ここから馬出郭へと向かう土橋が整備されている。ここはちょうど大手口と並ぶ格好様に設けられ、まさに城の最前線という地であろうか。
あらためて、大手口と呼ばれている場所、城跡の最初に足を踏み入れた地に立って、城跡を眺めてみるとその全容が見えてくる。ここ杉山城は噂通り、見事な土の城でありました。
■杉山城小史
築城年は不明。小田原北条氏、もしくは山内上杉氏による築城と考えられる。どちらにしても戦国期に縄張りをされた城であることは間違いなさそうだ。
■情報
築城年 :????
所在地 :埼玉県比企郡嵐山町
アクセス:関越自動車道 嵐山 小川インターチェンジ から車で5分ほど
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