菅谷城趾

■菅谷城趾散策

関越自動車道の東松山ICより車を走らすこと10分強。埼玉県比企郡嵐山町にあるのは「菅谷館」という平城跡。

元々は畠山重忠という鎌倉時代に活躍した武士の館跡であったという。館跡という事前の知識だったので、それほど構えずに乗り込んだ。しかし実際に行ってみると良い意味で期待が裏切られた。立派な城跡であったからだ。

菅谷城 菅谷城
門跡の土塁、ここに畠山重忠公の像がある 右側が本郭、左が二ノ郭

三ノ郭跡に併設されている埼玉県立歴史資料館に駐車。ちなみに資料館で菅谷館に関する資料を頂くことができるので、城巡りの際に活用すると便利である。

まず向かった先が二ノ郭の先にある本郭。その道すがら二ノ郭の入り口付近にある空堀と土塁。そして門跡脇の土塁上には畠山重忠公の像が本郭に向かって立っている。

二ノ郭の東側。こちらは全面が芝に覆われているが、おそらく大きな馬出しとして築城されたのではないだろうか。

菅谷城 菅谷城
本郭 本郭の土塁

さて本郭。見事な土塁に囲まれており、まさに戦国時代の典型的な土の城を拝むことが出来る。ほぼ一周、土塁で囲まれ、土塁の外は空堀となっており、その遺構の残存度は相当なものではないだろうか。長方形をした本郭である。昔々は先に触れた畠山重忠の館があった場所らしい。

本郭の南側にあるのが南郭。こちらは一段低い位置に存在しており、本郭からは土塁の上、もしくは戦国当時であれば櫓より俯瞰することができる。他の郭と比較すると小さめである様だ。

南郭を西方面に向かい、傾斜を上るとそこは二ノ郭である。こちらの二ノ郭と南郭で本郭を囲む様にしてコの字型で形成されている。こちらも当然ながら土塁で周りが囲まれている。こちらにはベンチなど休憩することもできる休息の場ともなっています。ちなみに城跡内にあるベンチなどは、同敷地内にある間伐材でもって作られているという。エコなんですね。

菅谷城 菅谷城
二ノ郭から見た本郭とを隔てる堀とその土塁 本郭と二ノ郭を隔てる堀

この二ノ郭と本郭間にある空堀。本郭側にある土塁があるためか、空堀自体が相当な深さの様に見え、思わず声を上げてしまいそうな見事な堀である。ここが一番の見所といっても差し障りは無いだろう。

そして少々戻って三ノ郭。今は木々に覆われた森林となっており、暖かくなれば木漏れ日が気持ちよく感じる散歩ができそうなところである。この三ノ郭の西側に復元された橋が架かっており、その先が西ノ郭である。

この西ノ郭も他と同様に土塁で囲まれた堅固な郭となっており、この郭の一番西側が大手門ということだ。現在、その大手門の外はオオムラサキの森活動センターの一角となっており、木々に囲まれた自然が残った土地である。

 
■菅谷城小史

鎌倉時代まで遡り、元は畠山重忠の館跡である。長禄二(1488)年、菅谷館付近にある須賀谷原において山内上杉家と扇谷上杉家の間で激戦が繰り広げられた。その頃に山内上杉家の太田資康が統治へ砦を築いていたといわれている。長享の乱でとらわれた上杉朝良が幽閉されたという言い伝えもあるが定かではない。相模北条家の支配下にあったかどうかも不明であるそうだ。
 
■情報

築城年 :????
所在地 :埼玉県比企郡嵐山町



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