仙台城

杜の都には、伊達家62万石の威容を今に伝える城跡があり、仙台城もしくは青葉城という名で呼ばれている。
昔話で恐縮ではあるが、仙台城には20年ほど前に訪れた記憶があるが、いまはそれも遠く薄れているくらいだから、あらためて書くことにした。

改訂版である。

もう若くもなく健脚でもないので、仙台駅からレンタカーという手段で、現地に乗り入れたのは過去との大きな違いではある。

城跡へ近づくにつれて上り勾配であることを感じ、近くの駐車場から見上げると、青葉山という名の山に築かれた天然の要害であることを認識できた。
あらためて立地を頭に思い描くと、かなり遺構の堅固さを痛感させられる。


さて、仙台城の名物といえば、伊達政宗公の騎馬像だろう。
実際、本丸では多くの人たちがその周囲で記念撮影をしていたのを目にしている。
仙台市内の眺望も素晴らしいものではあるが、やはりアイコンとなる政宗公は絶対的な人気を誇っていることがわかる。

仙台城跡(青葉城)は、壮大なる天守は残っていませんが、歴史の舞台と雰囲気を肌で感じられる場所でした。 私が散策して特に印象に残ったのは、その立地と遺構の堅固さです。標高約130メートルの青葉山に築かれたこの城は、天然の要害であることがすぐに理解できます。 城跡の象徴とも言えるのが、有名な伊達政宗公の騎馬像と、本丸を取り囲む巨大な石垣です。特に、本丸の南東に残る東面石垣は圧巻の一言。高さが約17メートルもあり、その積まれた石の一つ一つが、伊達62万石の威容を今に伝えているようでした。自然の地形に合わせて複雑にカーブする石垣からは、戦国時代から江戸時代初期にかけての高度な築城技術がうかがえます。 本丸跡からの眺めは、まさに天下人の視点。広大な仙台市街と、遠くの太平洋まで一望でき、この場所で政宗公が未来を見据え、城下町の発展を構想していたのだと思うと、感慨深いものがありました。 散策ルートとしては、本丸跡をじっくりと見学するだけでなく、大手門脇櫓まで足を延ばすのがおすすめです。この櫓は、数少ない再建建造物として、城の入り口を守る重要な役割を担っていた当時の姿を想像させてくれます。 また、城の歴史や構造をより深く知りたい方は、ぜひ青葉城資料展示館に立ち寄ってみてください。展示を通じて、なぜ仙台城に天守が築かれなかったのか、伊達家がこの地をどのように治めたのかといった歴史的背景が整理でき、城跡巡りがより充実したものになりました。 杜の都といえば仙台。伊達政宗を祖とする伊達藩の中心となしたのが、慶長七(1602)年に完成した仙台城です。

仙台城という名だけではなく青葉城という別名も持っており、地元の人はなんと呼んでいるのか、ちょっと気になるところですけど。

仙台城へはJR仙台駅から「るーぷる仙台」という市内の観光名所を廻る、循環バスを利用するのが便利です。入り口まで乗せていってくれます。ただ時間がある方には、仙台の町をのんびり歩いて行くのをお勧めいたします。30分ほど歩くけば城趾へ到着です。

青葉通りをまっすぐ進めば目的地です。築城当時は城の外堀とされていた広瀬川にかかる大橋からは、かつての大手門あたりに復元された「脇櫓(隅櫓)」を目にすることができます。 この大橋を渡り終えた当たりが、伊達政宗の家臣であった片倉小十郎の屋敷であったと伝えられています。今ではその影すらみることも出来ませんけど。 さらに「五色沼」を左に見ながら、東北大学方面へ坂を登って行くと、さきほど大橋から目にした「脇櫓(隅櫓)」が復元されております。この道をはさんで櫓の反対には、「慶長遣欧使節」で有名な支倉常長の像を見物できます。

ここには昭和初期まで大手門が現存していたとか。しかし戦災でもってやけ崩れてしまったそうです。

そこから本丸跡へは山道、車道脇を歩んで行く必要があり、歩道とは呼べない感じ。しかし途中からは歩道がきちんと整理されております。しかし車道を横切る必要があるので注意。このあたりまで登って来れれば、整備されたばかりの真新しい石垣を目に出来ます。

石垣が崩壊仕掛けているとの事で、修復作業を行いそれもほぼ完了したということでしょうか。その修復にいたる経緯や工事状況は、本丸に建ててあった小屋に書いてありました。仙台城が築城当時の面影を見せる一面が、この石垣にあるように思われます。

本丸といえば城の中心にあたるところです。そこまで行くと坂道を登った甲斐がある程の景色を目にできると筈です。ここから仙台市内が一望でき、遠い昔の武士も同じ様に眼下に城下を眺めていた事でしょう。

またこの本丸には有名な「馬上の伊達政宗像」があります。この像も石垣の修復工事でもって20メートルほど動かされたとか。

さらに「荒城の月」の碑もあり、訪れた当日には演奏している人がいらっしゃいました。

さてお城といえば天守閣を想像する方も多いと思います。しかしこの仙台城には天守閣は元来存在せず、築城の計画はあったと言われておりますが、それは実現されませんでした。その代わりに本丸やそれに連なる大広間や御成門。さらには能舞台や懸造りなど立派な建物があったそうです。

こういった事は青葉城史料館で知ることができます。そのなも「幻の仙台城を映像で復元」。想像できるとおり、CGを利用して伊達政宗が築城した当時を再現するという話です。10年以上も前のCGなので今から見ると、驚くほどの映像ではありませんが、仙台城の本丸の造りを知る事ができます。

本丸から三の丸へ下る道すがら、震災による石垣の復旧作業を行っているのを目にした。重要文化財に指定されてもおかしくない石垣。これは手を加えてでも後々まで残しておいてもらいたいものです。

また三の丸付近にある「仙台市博物館」では、仙台市の歴史を太古から昭和初期までに渡って見ることができます。この中には伊達政宗が所用した甲冑や刀、さらに自筆の書状など数多くの興味深い史料が展示されておりました。 江戸の情緒を今に残す仙台。
戦国時代の雰囲気は皆無といってよいが、仙台城という城跡を散策してみた。

仙台駅から街をぶらぶら歩きまわり、シンボルである本丸御殿を前にすると、江戸時代に時代が遡った雰囲気を味わえ、その佇まいに武家の風格を感じることができる。
仙台城という城跡ではあるが、深い堀や高い石垣もしくは土塁に囲まれているわけでもなく、白亜の天守が建っているわけでもない。
御殿という名の通り、その当時の政務を司った建物といえよう。

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現在の御殿は、その内部を見学することができる。

大広間

玄関から入ってすぐにめにするのが36畳からなる文字通りの大広間。
江戸時代の雰囲気が漂い、知識がなくとも城郭建築の格式であったり、その豪壮さが感じとることができそうだ。
その横には使者の間といった10畳ほどの部屋が並んでいる。

家老詰所

西側の建物が明治期に民間へ払い下げられたのを、昭和63年に移築復元したそうだ。
藩政を実質的に担った家老たちが詰めたと思われる部屋ということだろう。
床の間などが備えられたこの部屋で、闊達な議論が日々、繰り広げられていたことを想像させるように、人形で再現しているのはわかりやすい。

廊下

大広間の西側に南北に延びる廊下。
脇の部屋から肩衣と袴姿の武士が出てきそうな雰囲気ただよう長い廊下である。
またここから南側の庭を除くと、時期が合えば梅の花を鑑賞も可能だ。
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中ノ門堀跡

御殿より少し離れてはいるが、仙台の街中にも城跡の遺構として堀跡を鑑賞することができる


仙台城は別名を青葉城とも言われている。青葉山の地形を巧みに利用しており、東と南側が断崖という様に天然の要害である。 関ヶ原の戦い直後(慶長5年(1600年))から伊達政宗により縄張りが行われ、翌年より本格的に築城が行われた。 徳川家への配慮からか、壮麗な天守は築かれることはなかったと言われている。 江戸時代を通じて、伊達家の居城として長らく仙台藩の中心となり幕末を迎えるている。

別名:青葉城
築城年:慶長5年(1600年)
所在地:宮城県仙台市
主な遺構:石垣
関連武将:伊達政宗
アクセス:仙台駅からバス、徒歩
駐車場:あり

史跡巡り