関宿城趾

■関宿城趾散策


関宿城は水上交通が重要であった中世。要所をおさえる城としての役割を担っていたそうだ。それを証明するのが小田原北条家の氏康に言葉である、この関宿城を奪った際に「一国を取りなされ候」と価値を表現したという。

どんな城なのだろうか。

期待を持ちながら、ほとんど下調べなしで向かった関宿城。現在は江戸川と利根川に挟まれた地に公園としてその地が残されていた。

目の前にあるのは白亜の天守閣を彷彿とさせる。実はこれ、関宿城博物館となっている。中世から近世にかけて、川との戦いを強いられた城下町について、様々な資料を展示しながら来訪者に語りかけている。

さてこの博物館。実は当時の関宿城が城郭を構えていた位置とは、若干ながら少しずれているそうだ。実際の城郭はやや南側にあたるらしい。

関宿城博物館 城趾の説明板
関宿城博物館 城趾の説明板


詳細は、よくわかりません。

確かに城跡としてはやや南に1キロほど歩いたところに、それらしい雰囲気を持った遺構が残されていた。ここが現在、遺っている城跡ということだ。

それを裏付ける様に城趾碑が建っていた。そうなると周りの田圃などが、かつての城郭として君臨していた地ということになるのだろう。

他に遺構は遺っていないのか、と周辺を少々散策するが見つけることはできなかった。鈴木貫太郎という昭和時代の首相の記念館が目に付いたくらいだろうか。

ちなみに先に触れた天守閣を模した天守閣。正確には櫓だそうです。江戸城の富士見櫓を元に復元したとのことでした。

それはともかく、関宿城の当時の縄張り図が頭に思い浮かばなかった。当時はいったいどんな風に縄張りがされたのか。少々、残念であり、消化不良気味であったが、関宿城を後にしたのでした。

 
■関宿城小史

古河公方の家臣梁田某が関宿に築城したのがはじまりだと言われている。 関宿城の位置は利根川水系の一つである江戸川沿いにあり、水運が重要視されていた戦国時代では上杉氏と北条氏との間で度々戦が行われていた。特に小田原北条氏はこの地を守り、北関東への足がかりとなる拠点として活用していた。豊臣秀吉による小田原征伐後、徳川家康の異父弟である松平康元が城主となり、関宿藩として江戸時代を迎える。
 
■情報

築城年 :????
所在地 :千葉県野田市
関連武将:梁田晴助
WebSite :千葉県立関宿城博物館



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